「文豪老舎の生涯」(舒乙 中公新書)、対応大変

 我が家に上陸した強力小型台風(小6、小1、3歳)、やはり勢力は昨年に比べ大きくなっていた。3人と一緒にふろに入るのだが、ゆっくりお湯に浸る余裕がない。いつもより早く・長く風呂場にはいるので、酔いが回る。連れ合いは、三度三度の食事作りがこれまた大仕事である。食べる量は大したものだ。

 中国語の勉強をする余裕も時間もない。早く起きてすればよいのだが、それまた早起きする孫もいて、そういう訳にもいかない。今朝は連れ合いが、娘と下の孫二人を連れて、阿波市役所で開かれている「平和写真展」とアイスクリーム屋のドルチェに連れて行ったので静かだった。しかし、午後からは全く騒がしい家となった。

 そんな中、時間を見つけて読んだのが「文豪老舎の生涯」(舒乙 中公新書)。1995年刊行で長い間積読になっていた。著者は長男の舒乙。老舎(1899年・明治32年、光緒25年)は文化大革命のに時に紅衛兵などに迫害されて、1966年8月24日に自殺した。しばらくたって彼の自殺が日本でも報道された時、当時大学生だった私もその報道に驚きもし中国の現状を悲しんだものだった。我が家にある老舎の本は、代表作の「四世同堂」で、そのほかに駱駝样子、東海巴山集、離婚、牛天賜物語、龍髭溝、春華秋実、猫城記。魯迅の次に多くの作品を読んだ。老舎は今でも中国では評価の高い作家である。本書では中国語でわずか200字で自己紹介した彼の文章(1938年2月)が紹介されていた。以下に紹介する。

 舒舎予、字は老舎、現在40歳、顔面蒼白にして無髭。北平に生まれ、3歳(満2歳)に怙(たのみ)を失い、父なしと謂うべし。志学の年(15歳)、帝王なく、君なしと謂うべし。無父無君なれば、ことのほか老母に孝養を尽し、ブルジョア的情感未だに一掃しえず。幼くして三百千(三字経・百家姓・千字文)を読むも、熟解を求めず。ついで師範に学び、ようやく教師の基礎を築く。長じて四方へ生活の糧を求め、教師を業(なりわい)となせば、蓄財甚だ難く、宝籤(たからくじ)を買えば、最下等にても栄となし、清貧に甘んず。27歳、発奮して書を著わさんとすも、科学哲学に無知なる故、小説を書き、皆々の一笑を博すが、さしたることなし。34歳にて結婚、今や一女一男あり、いずれも狡猾(やんちゃ)にていと愛らし。閑時に花作りを好むも、その法を得ずして、悉く葉ありて花なし、また棄つるに忍びず。書読まぬはなし。何ら得るところなくも、また焦らじ。教育・仕事、均しくいと生真面目なれば、往々にして損を見るも、また後悔はせじ。かくはあれどさらに40年を生きなば若しや多少の芽は出でんか。

 老舎の自己紹介のとおりが、息子である著者によって書かれている。

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良寛詩集(東洋文庫556 平凡社

691 こぞの春折りて見せつる梅の花今は手向(たむ)けとなりにけるかも

692 からごろも立ちても居てもすべぞなきあまの刈藻の思ひみだれて

693 世の中の玉も黄金も何かせむ一人ある子に別れぬる身は

694 かしのみの唯一人子に捨てられてわが身ばかりとなりにしものを

695 思ふぞへあへずわが身のまかりなば死出の山路にけだし逢はむかも