日本語教室と周恩来、花・花

 14日(日)は林公民館で日本語の学習があった。私の担当は、3人のとても元気なおばさんに教えることであった。今回はサポートの人が2人も参加してくれて、にぎやかなことこの上ない。テキストの第9課と10課を勉強した。テキストのコラム欄(专栏・専欄)に「奈良と京都」という一文があった。そこには中国の元首相の周恩来(1898年~1976年)について書かれていた。周恩来は日本に留学したことがあり、中国に帰る途中に京都の嵐山に立ち寄って詩を書いたというものであった。1978年に嵐山に詩碑が建てられた。中国の旅行客が多く立ち寄るらしい。
 ネットで調べてみて、下記の資料を用意した。
雨中岚山
   周恩来 1919年4月5日
 雨中二次游岚山
  两岸苍松
 夹着几株樱
 到尽处
 突见一山高
 流出泉水绿如许
 绕石照人
 潇潇雨 雾蒙浓
 一线阳光穿云出
 雨中嵐山――日本京都
 一九一九年四月五日
 雨の中を二度嵐山に遊ぶ
 両岸の青き松に いく株かの桜まじる
 道の尽きるやひときわ高き山見ゆ
 流れ出る泉は緑に映え 石をめぐりて人を照らす
 雨濛々として霧深く
 陽の光雲間より射して いよいよなまめかし
 世のもろもろの真理は 求めるほどに模糊とするも
 ――模糊の中にたまさかに一点の光明を見出せば
 真(まこと)にいよいよなまめかし
  訳 蔡子民先生
 かつて東京・神田に東亜高等予備学校というのがあって、日本語を知らない留学生が大変多く学んでいた。周恩来もその一人であった。学校の跡地に碑が建っている。日本で働いている彼女たち、日本への親しみが増しただろう。
15日(月)は眼科を受診した。16日(火)は整形外科を受診した・腰・左ひざ・左ひじ・左肩が痛い。
 今日・明日は、千葉に連れ合いと行き両親の墓参りをしてくる。姉・兄・弟たちも歓迎して待ってくれている。以前行ったのは2022年10月で、日本母親大会が群馬県高崎市であったとき、帰りに連れ合いと墓参りをした。

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