お墓まいりと、息子の誕生祝

 4月17日・18日は、お墓参りと息子の誕生祝を兼ねて、東京・千葉まで行った。最大の目的は両親などのお墓参りである。その前に東京・神楽坂に住んでいる息子夫婦と会って、息子の誕生祝をした。しかし、東京は少しでも移動するのに歩くことが多く、地下鉄を乗り換えるのにもとても長く歩かざるを得なかった。17日は彼らに会うのは夕方だったために、神田の内山書店に立ち寄った。それから麹町にあるホテルに荷物を降ろし、九段坂まで行くのだから大変な歩行数(17,000歩)になった。行ったお店は「和食日和 おさけと」という店であった。店名通りおいしいお酒がずらりと棚に並んでいた。料理も大変おいしく満足したが、二人ともこの日は日本酒が飲めなかった。仲良く暮らしているようでホッとした。

 18日(木)は、本来の目的の墓参りである。千葉県の柏にある柏湖南聖地公苑に私の祖先たちは眠っている。沖永良部島にあった墓を父親が柏に移したのだった。ここは手賀沼を臨む丘の上に作られていて、景色が大変良い。兄夫婦が柏駅まで迎えに来てくれたので、ゆっくり墓参りをすることができた。墓参りの後は、私の姉・兄・弟5人兄弟とその配偶者と合計10人で昼食をとった。10人全員が元気にそろうのは十数年ぶりであった。場所は姉の住む葛飾・柴又であった。寅さんの聖地・柴又は連れ合いのお気に入りのところで、柴又駅や寅さん記念館に立ち寄った。柴又の商店街にある団子屋で昼食をとった。

 とにかく、強行軍の2日間であった。 今朝起きると姫月下美人が咲いていた。こんな早い時期に咲いたのは初めてであった。

 内山書店で買ったのは「東南アジアスタートアップ 大躍進の秘密」(日本経済新聞出版)、神楽坂で買ったのは「漱石と歩く東京」(雪嶺叢書)。

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日本語教室と周恩来、花・花

 14日(日)は林公民館で日本語の学習があった。私の担当は、3人のとても元気なおばさんに教えることであった。今回はサポートの人が2人も参加してくれて、にぎやかなことこの上ない。テキストの第9課と10課を勉強した。テキストのコラム欄(专栏・専欄)に「奈良と京都」という一文があった。そこには中国の元首相の周恩来(1898年~1976年)について書かれていた。周恩来は日本に留学したことがあり、中国に帰る途中に京都の嵐山に立ち寄って詩を書いたというものであった。1978年に嵐山に詩碑が建てられた。中国の旅行客が多く立ち寄るらしい。
 ネットで調べてみて、下記の資料を用意した。
雨中岚山
   周恩来 1919年4月5日
 雨中二次游岚山
  两岸苍松
 夹着几株樱
 到尽处
 突见一山高
 流出泉水绿如许
 绕石照人
 潇潇雨 雾蒙浓
 一线阳光穿云出
 雨中嵐山――日本京都
 一九一九年四月五日
 雨の中を二度嵐山に遊ぶ
 両岸の青き松に いく株かの桜まじる
 道の尽きるやひときわ高き山見ゆ
 流れ出る泉は緑に映え 石をめぐりて人を照らす
 雨濛々として霧深く
 陽の光雲間より射して いよいよなまめかし
 世のもろもろの真理は 求めるほどに模糊とするも
 ――模糊の中にたまさかに一点の光明を見出せば
 真(まこと)にいよいよなまめかし
  訳 蔡子民先生
 かつて東京・神田に東亜高等予備学校というのがあって、日本語を知らない留学生が大変多く学んでいた。周恩来もその一人であった。学校の跡地に碑が建っている。日本で働いている彼女たち、日本への親しみが増しただろう。
15日(月)は眼科を受診した。16日(火)は整形外科を受診した・腰・左ひざ・左ひじ・左肩が痛い。
 今日・明日は、千葉に連れ合いと行き両親の墓参りをしてくる。姉・兄・弟たちも歓迎して待ってくれている。以前行ったのは2022年10月で、日本母親大会が群馬県高崎市であったとき、帰りに連れ合いと墓参りをした。

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入学式2つ、

 投稿して、書き忘れていることに気が付いた。10日の午後には、健康班会があり連れ合いと参加したのだった。この日のテーマは「くも膜下出血」であった。どうしてこのテーマになったかというと、最近近所の知り合いが、くも膜下出血で亡くなったり、体が不自由になったからであった。生活リズム、食事、ストレス、などなど多くの注意事項が講師から話された。
 8日(月)はkaede君の高校入学式があった。9日(火)はkei君の小学校入学式があった。娘は両日とも仕事を休んで式に行ってきた。子どもたちを連れて徳島に戻ってきて、入学式という節目の行事で一区切りできたのではないか。そうは言ってもこれからも大変だ。私も連れ合いも、今まで以上の手助けをしなければならない。
スマホの画面が突然暗くなり、操作できなくなった。原因・復旧の仕方がわからず大変慌てたが、ネットで調べると「+」と「電源を長押し」すると復旧することがあると書かれていた。試してみると復旧できたが、NTTドコモに行ってきた。時々電源を切って(週1~2回程度)くださいとの返事だった。どうも納得がいかない。
 この間、メダカの池の大掃除をした。昨年はあまりメダカの世話をしなかったので、メダカの数が予想以上に減っていた。採卵に今年は力を入れよう。
 10日(水)は文学書道館で日中友好協会の中国語があったので参加した。この日はテキスト「起きてから寝るまで中国語表現1000」の第8章「愛好・趣味」の単語の発音練習を主にした。
  我が家の温室を見ていると、夜の女王が10ほど小さい蕾を付けていた。夜咲くときは30cmほどの白い花を咲かせるので楽しみだ。昨年のfacebookを調べてみると、5月23日に夜の女王・大輪柱・姫月下美人・満月美人が同時に咲いたと記されていた。

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あわ9条の会の行動、花盛り、「インド」(近藤正規 中公新書)

3月31日(日)は連れ合いが、友達と花見に行き、我が家で昼食をとるというので、家を追い出された。しかたがないので腰をかばいながら阿波民報を担当地区に配りに行き、コメダで昼食をとった。それでも時間があまり、ⅮIYの店を見て歩いた。
 4月2日は我が家で会議があり参加した。5日(金)は阿波民報の残りを配布した。自転車に乗ったり歩いたりしたので、相当の運動になった。
 今日(7日)はあわ9条の会のマルナカ柿原店前での行動があり、連れ合いと参加した。今回の参加者は新人を含め6人だった。暑くも寒くもなく行動しやすかった。車中から4人が手を振ってくれたり、バイクでツーリングしている人が手を振ってくれたり、暖かい日ならではの行動であった。
 昨日(土)は長いこと放置していたメダカの池を洗うことにした。メダカの種類別に10ほどあるので、この日は3つだけにした。メダカの数がだいぶ減っている。
  数日前からスマホの調子が悪く、動作が遅かったが、昨晩はとうとう動かなくなってしまった。今朝、パソコンで調べたら「音量ボタンの+と電源ボタンを同時に長いこと押したら復旧することがある」とメッセージが出てきた。さっそく試してみると復旧することができた。しかし、念のために明日ドコモに行って見てもらうことにした。メカ音痴の私にとっては、つらい故障だ。
 「インド グローバル・サウスの超大国」(近藤正規 中公新書 2023.9)を読んだ。世界一の人口、世界第5位のGDP、そして新興国の「盟主」と目されているインドはどのような国なのだろう。ほとんどインドについての知識がない私にとっては、驚かされることばかりであった。しかし、世界第5位のGDPとは言っても、1人当たりの所得はいまだに年2,200ドル(286,000円)程度で世界139位にしか過ぎない。日本も貧富の格差は深刻だが、インドはさらに深刻でそ、れ以外にも地域間、男女間、宗教間で格差が縮小せず、大気や水質汚染も深刻になっている。そのような中でもダイナミックな成長を続けている。インドについては全く無知な私であるが、著者は安倍元総理のインド政策を高く評価している。他の学者の見解も知りたいものだ。
 春も本格的になり、我が家の庭も花盛りだ。孫が春の彼岸の碑に金魚すくいで摂ってきた、金魚も大きくなっている。

 

 



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守大助さんに手紙、「江戸の戯作絵本」初期黄表紙集(教養文庫)

   25日(月)の午後は、きのこハウスの理事会があり参加した。今年度もようやく終わり、厳しい障がい者情勢だが、何とかしのげたというのが、運営者の実感ではないだろうか。社会保障の充実に不熱心な政府の有様を。根本的に変換することが求められていると思う。

 27日(水)の午前中は文学書道館で日中友好協会の中国語があり参加した。今回から講師は王杰(傑)さんに変った。初めてなので緊張していたのだろう、話し方が少し早かったので、皆さん着いて行くのが大変だった。しかもこの日は4人の方が教室の様子を見学に来た。引き続き受講してくれるとありがたいのだが。

 28日(木)はパンクしたタイヤの取り換えに行ってきた。

 30日(土)は守大助の会主催の花見が行なわれたので、連れ合いと参加した。花見の様子は守さんに手紙を書いて報告した。以下のとおりである。

 おはようございます。ちょっと遅かったソメイヨシノが、ここ数日の陽気でやっと徳島でも咲き始めました。

 昨日(3月30日)は、久しぶりに花見に行くことにしました。場所は、8番札所の熊谷寺です。参加者は、川上・湊夫婦・大西・割石・門田・有川夫婦の8人でした。御所の郷(阿波市・土成町、道の駅で温泉がある)で集合して、熊谷寺まで30分ほど急な坂を登っていきました。

 以前にも行ったことがありますが、蜂須賀桜はすでに散っていて、ソメイヨシノが見事でした。本堂までの階段は、足の悪い大西さんや門田さんには少しきつかったかもしれませんが、参道の桜が楽しませてくれました。お参りを済ませ、熊谷寺のベンチに腰掛けて、めいめい持参のお弁当を頬張りました。私たち夫婦は持っていくのを忘れ、湊さんからおすそ分けをいただきました。お稲荷さんのおにぎりはおいしかったですよ。

 この時期、お遍路さんがたくさん訪れていました。最近は、外国人が多いですね。短時間の間に、米国・オーストリアなどなどの方とあいさつを交わしました。皆さん歩き遍路で頑張っています。自転車の方もいました。こんにちは」と声をかけると、にこにこしながら「こんにちは」と返事をしてくれます。

 昨日、一番印象的だったのは、東京から来た40歳代の青年です(2枚目の写真)。お遍路は3回目だそうです。写真のように横断幕を広げて記念写真を撮っていると話しかけてきて、事件のことを詳しく聞いてくれました。川上さん・大西さんが一生懸命に説明しました。事件を振り返りながら、彼は日本の司法のひどさを話していました。ありがたいことです。

 

 「江戸の戯作絵本」(初期黄表紙集 教養文庫)を読んだ。本のカバー裏に黄表紙とは、「大人の漫画であり荒唐無稽なナンセンス文学である。」と定義づけている。「金々先生栄華の夢」(恋川春町作画)を含め9作が紹介されている。他愛のない話ばかりであるが、絵も多く入っているので、少しはこの時代の庶民生活が知られる。

 中野議員の議会報告である、阿波民報第24号が刷り上がって届けられたので、担当地域の配布しなければならない。

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尹东柱の詩集と墓

 連れ合いが3月23日のブログに、市民劇場で観た尹東柱の劇「​星をかすめる風​」を紹介していた。実は、尹東柱については、2016年7月16日から19日まで、中国の朝鮮族自治州に旅行しておりその際尹東柱の生家と墓を訪問していた。この旅行は延吉の大学で日本語教師をしている友人の招待であった。連れ合いはその時のことを忘れているようだ。私はブログに、2回にわたり尹東柱について書いた。以下はその拙文である。

  • 2016年9月15日のブログ

尹東柱(1917〜1945)の「空と風と星と詩」を読んだ。清冽な詩であるとおもった。中国・延辺に行った時、ハングルと中国語で書かれた尹東柱の詩集「仰望天空 毫无愧恨」を買ったのだが、ハングルは読めないし、中国語の力もあまりないので、岩波文庫を購入した。岩波文庫もハングルと日本語訳が併記されている。両書とも、尹東柱の人となり詩について詳しく解説されている。岩波文庫金時鐘の編訳である。今、永田浩三の「ヒロシマを伝える 詩画人・四國五郎と原爆の表現者たち」(WAVE出版)を読んでいるのだが、この中に詩人・金時鐘の名前が出てくる。同一人物なのだろう。
 中国で出版された「仰望天空 毫无愧恨」というタイトルは、最初に掲載されている詩「序詩」(1942.10.20作)の冒頭の一節から来ている。中国・韓国では大変有名な詩のようであるので紹介する。

  死ぬ日まで天を仰ぎ
  一点の恥じ入ることもないことを、
  葉あいにおきる風にさえ
  私は思い煩った。
  星を歌う心で
  すべての絶え入るものをいとおしまねば
  そして私に与えられた道を
  歩いていかねば。

  今夜も星が 風にかすれて泣いている。

 彼が生きていた中国東北部(当時は満州国)であったが、ハングルの使用は禁じられていた。それでもハングルで詩を書いた。日本に留学していた彼は、27歳の時治安維持法違反で罪に問われ、九州の刑務所で獄死した。

中国・延吉旅行 2016年7月16日から昨日(19日)まで、中国吉林省の延吉市に行ってきた。友人が4月から延辺大学日本語教師をしているため、遊びにこないかとの招待を受けたのであった。メンバーはS女史(彼女の連れ合いが日本語教師)とT女史と私たち夫婦であった。いずれも昔からの知り合いなので、気楽に楽しくいけると思った。全くその通りの珍道中であった。
 延吉市は吉林省延辺朝鮮族自治州にある。延吉市が州都になる。人口は48万人ほどで朝鮮族が58%を占めている。関西空港と延吉朝陽川空港を結ぶ便は週2便しかない。 
 中国の大学は現在夏休み。従って、S氏が全行程を付き合ってくれた。18日は長白山へ行ってきた。S氏の同僚も一緒であった。朝鮮では白頭山と呼ばれている。19日は延吉市の隣にある図們市と龍井市に行った。図們は北朝鮮とつなぐ図們大橋があって、観光客が大変多い。龍井市では反日解放運動の幾つかの跡地を訪問した。延辺大学の日本語学科の学生2人が同行した。日本語の勉強になっただろうか。こちらは中国語の勉強になった。
 ブログを書く参考の延辺のガイドブック(中国発行)が見当たらない。連れ合いに聞くと持ってでかけたという。没法子!

生家








 

木蓮、自治会総会

 20日(水)は春分の日でお休み。例年、春・秋のお彼岸には家族そろって、義父母の墓参りをしている。この日も、近くにある墓に行って、また義弟の家に立ち寄り仏壇にお線香をあげた。その後毎年、8番札所切幡寺に行っているのだが、私は体調があまり良くないのでパスした。連れ合いは娘・孫たちと出かけて行った。孫たちが屋台から持ち帰ったのは金魚であった。一昨年の金魚もいるのだが、仕方がないので別の入れ物を用意した。夜は、所属する自治会の総会があり参加した。1年のまとめ、自治会の課題の論議、会計報告、次期役員の選出があった。義弟が来年度の自治会会長に選出された。私も3度経験したが、仕事が現役の時は日程のやりくりで仕事も休まなければならないので大変だった。自治会離れが進む中で、会員の交流を深め安全確保のためにも、自治会は必要と私は考えている。

 正月、今年の一日の歩数目標を1日平均1万歩に決めたのだが、これが大変だ。体力も考慮して、3月から1日8,000歩に改めた。昨日迄の平均は9,757歩になっている。

 18日(月)に耳鼻咽喉科を受診したことは書いたが、その時駐車場に車を止める際、縁石に乗り上げて後輪左のタイヤをパンクさせてしまった。取り替えなければならない。高齢による判断ミスとしか言いようがない。娘がネットで交換タイヤを注文してくれたので、少しは安く手に入れることができた。

 我が家の木蓮を紹介する予定でいたが、忘れてしまっていた。もうだいぶ散ってきたが、先に撮影したものを掲載する。