きのこハウス理事会、きょうされん四国ブロック、フリージア、「旅に出る ゴトゴト揺られて本と酒」、「北京の父老舎」

 19日(月)は午後3時からきのこハウス理事会、21日(水)は午後1時半からきょうされん四国ブロックのzoomでの会議があった。zoomの会議は便利だが、慣れないためか私にはなかなかしっくりゆかない。

 20日(火)の夜は、近くの公民館で健康班会があったので連れ合いと参加した。今回のテーマは「伝え方の極意」であった。我が家などはしょっちゅう連れ合いとの話で齟齬があるが、充分に伝わらなくてもそれが刺激になって楽しいものだ。

 また20日は、春に掘り上げていたフリージアの球根をプランターに植えた。300球(黄・赤・白・紫・桃色)余りあったので10時半過ぎから、昼食をはさんで3時過ぎまでかかってしまった。腰が痛くなった。

 21日午前中は、連れ合いと土成図書館に車を置いて、熊谷寺、緑ヶ丘スポーツ公園を回る40分ほどの歩きに行った。スポーツ公園の楓などの木は先日よりだいぶ紅葉してきていた。

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 椎名誠の「旅に出る ゴトゴト揺られて本と酒」(ちくま文庫)を読んだ。美味しい酒と楽しい本と同居している著者も、仕事がらみの取材旅行となると、楽しみながらも苦労をしているようだ。著者の好きな漂流記などたくさんの本が紹介されているが、絶版になっているという「貧困旅行記」(つげ義春 新潮文庫)は読んでみたいと思った。

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  老舎の長男である舒乙が書いた「北京の父老舎」(作品社 1988年7月 中島晋訳)を読んだ。原題は「老舎」で1986年8月に北京の人民出版社から出版されている。

 老舎は小説だけでなく多くの戯曲(中国の伝統的な京劇や地方劇)や大衆演芸の台本など文字も知らない人たちに向けたものも書いている。多能な人物である。それだけ老舎が中国の下層の人たちを愛していたことが理解される作品群である。以前私が読んだ本を紹介したが、老舎の生涯の成果から見れば、まったく一握の砂でしかない。いま日本で読める老舎の作品は、ほんとうに数少ないのが残念である。

 清朝末期(1899年2月)の北京で満州族の底辺の一人として彼は生まれた。その出自を誇りとして彼は作品を生み出してきた。

 老舎が紅衛兵らのつるし上げによる無理無体な暴行に会い、自らの矜持を捨てることなく自殺(1967年8月25日に死体発見)したことは、このニュースを聞いた多くの日本人にも衝撃を与えた。中国文学を多く読んでいた当時の私は大学生だったが、このニュースにはびっくりもし、文化大革命の「文化」にも値しない不当さを感じさせられた。老舎への暴行について舒乙は詳細に書いているが、高齢で杖をついて歩くこともままならない彼への仕打ちは、まことにむごいものであった。

 老舎は1965年3月から4月にかけて、中国作家代表団団長として日本に来ている。多くの日本人作家と交流している。その時老舎は34首の詩を残しているというが、どこかで見られるのだろうか。

 一番心に残ったのは、老舎の花を愛することについて書かれた一節であった。

「夏は、月下美人(サボテンの一種)の咲く時期で、秋は、菊の花があでやかさを競い、柿の木が実を結ぶ頃である。老舎は、いつも友人たちを花見に誘った。友人たちが帰る時には、必ずもぎたての柿や、芽を出した草花を持たせた。」

 老舎の心優しい一面が見られるし、何よりも老舎も「月下美人」愛したというところが気に入った。

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良寛歌集(東洋文庫556 平凡社

791 うちつけに死なば死なずてながらへてかかる憂き目を見るがわびしさ

792 幾秋の霜やおきけむ麻衣朽ちこそまされ問ふ人なしに

793 わが袖はしとどにぬれぬうつせみの憂き世の中のことを思ふに

794 わが袖は涙に朽ちぬ小夜更けてうき世の中のことを思ふに

795 世の中の憂さを思へばうつせみのわが身の上の憂さはものかは