「1979年」、修学旅行、など

 今朝(17日)は小雨が降り、ひどく寒い。山では雪が降るそうだ。
 13日(火)ユーチューブで「青島日美」の無料中国語を勉強していたが、ようやく終了した。どの回も3分から5分で終わる。初級は140課あったが、これはパスした。中級・上級は各160課あった。上級は難しいので2回ずつ聞いた。とはいえ、それですべてが理解されたわけでない。何回も復習することが肝要と思った。
 長野の友達から便りが来た。その中に彼が書いた随筆集が入っていた。「1979年 僕たちの『普通の移住』」、「原爆・戦争・満蒙開拓・アウシュビッツ・戦後」、「戦後ゼロ年 東京ブラックホール」の3冊であった。「1979年」から読み始めている。時々、彼から聞いた話が入ってるので、懐かしく感じた。
 14日・15日は中2の孫の修学旅行であった。コースは宮島・原爆資料館原爆ドーム大原美術館鷲羽山ハイランドであった。たくさんお土産を買ってきたが、何か得るところもあったのだろう。私へのお土産は「べく盃」であった。
  14日(水)午前中は文学書道館で中国語会話の講座があった。テキストは「中級中国語 新・会話スキット24」であるが、参加者によれば3回目という人もいる。何回も同じことを繰り返せば身につくのだろう。午後からは健康生協の班会があった。今回は手指・足の体操であった。体が年齢の経過とともに固くなってきているので、事故防止には必要だと思う。
 15日(木)は毎年恒例の、高松の栗林公園売店と諸国民芸の店福田屋に、連れ合いと行ってきた。新年のカレンダー・宮内張り子・お年玉袋を買うのが目的である。ついでにお箸を3膳と蕎麦猪口も買った。いつも立ち寄っていたうどん屋は、残念ながら廃業になっていた。
 16日(金)朝、洗濯物を干していたら、メダカの池に薄氷が張っているのを見つけた。本格的な冬である。

 「昭和20年東京地図」(文:西井一夫 写真:平嶋彰彦 ちくま文庫 1992年)を読んだ。東京大空襲・敗戦をはさんで、大きく変わった東京の様子が文と写真で紹介されている。著者の2人は私と同年の生まれなので、見て感じた風景が同じで、より身近に東京の様子が理解された。私が住んでいた、大田区馬込も紹介されている。p326では「馬込文士村と犀星の野蛮」という項がある。室生犀星が馬込で住んでいた家は、いま私が読んでいる随筆の友人も住んでいた。何回か遊びに行ったこともある。

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「埋み火」富士茂子遺歌集(1984.4 柏原千恵子編)
花と手錠
〇自由自在にキリンが首をふるように土うがちいるクレーン車が今朝
〇晴れ渡るやよいの陽(ひかり)うらうらと背に受けながら病葉をとる
〇慰問団のせたるバスが獄門を出ずる茜にあかず手を振る
〇あり余る力でおらぶ独居房の友を或意味で羨しくおもう
〇よどみなく吐き出す水が虹色に光る朝なり菊へ水やる
〇生木裂く母子の別れふつふつと今朝もたぎりく法の非常が
〇これ以上やせられぬ骨にしみ透る寒の疼きを想う今年も
〇かけられた手錠の重りずっしりと今もよどみて忘れかねいる