平和写真展、「僕と啄木と憲法」、月下美人咲く

 6月26.27.28日には、少しずつだが私の担当の選挙チラシを配布した。だいぶ体調も回復してきたが、暑いので午前5時起きで涼しいうちに済ませた。

 6月27日(月)は午後から徳島大学の中国語の公開講座があり、参加した。29日(水)は陽光学院。このところ、新たな目標がないので、モチベーションが下がってきている。

 あわ9条の会が毎年取り組んでいる今年の「平和写真展」が、7月1日から始まった。6月30日に「吉野中央ふれあいセンター」と「一条ふれあい会館」にパネルの展示に連れ合いとIさんと出かけた。

 吉野中央ふれあいセンターは「沖縄戦」のパネル、一条ふれあい会館は「原爆と人間」のパネルを展示して、7月15日まで「平和写真展」が開催される。早速、訪れていた人には核兵器廃絶の署名をしていただいた。

 阿波市議会で「日本政府に核兵器禁止条約の参加・調印・批准を求める意見書」可決された。

 阿波市議会の6月議会が29日に閉会し、昨日の徳島新聞の「議会ファイル」の阿波市議会のところに「議員提案の日本政府に核兵器禁止条約の参加・調印・批准を求める意見書を可決」と記載されていた。

 5月の平和行進訪問時に今年も核兵器廃絶の申し入れをしてきたのだが、その後、議会事務局長から「他の団体からも同じ趣旨の請願が出されようとしている」との電話があり、「できたら議員提案で意見書が出せるよう話し合いたい」との電話があった。その後、提案が採択された。徳島県も議会の半数以上が採択したことになった。喜ばしいことだ。

 「僕と啄木と憲法とー見よかの青空にB29の飛べるを」(2022年5月刊行)と題した林伸豪弁護士の自伝である。先生が80歳になり人生の一区切り、弁護士活動の一区切りとして出版された。タイトルの通り、啄木と憲法は先生の背骨である。徳島大空襲で多くのものを失った先生には、山好きと同時に憲法9条の重要さ弱い者への限りない愛情が満ち溢れている。

 私も連れ合いが関係した「阿部・仁木闘争」(高齢女性・出産女性への理由なき解雇事件 1976年12月~1981年3月)と「鴨島中央病院の解雇事件」(患者へのひどい扱いと低劣な賃金・労働条件の改善を求める)で先生のお世話になった。特に後者の事件では支援する会の事務局長として大変だったが、勝利で和解ができた(1983年1月~1988年12月)。

 選挙も最終盤、明朝は松本けんじ候補が吉野川市鴨島駅にきて話をするので、知人ら5名で参加する予定だが、雨にならないことを願う。

 7月3日(日)は月下美人が咲いた。温室と鉢植え2鉢の競艶である。芳香が書斎中に広がった。この時期の大きな楽しみである。

 K君(京都の大学4年)の誕生日は明日である。最近の彼の注文は本。今年は、「愛国とボイコット」(吉澤誠一郎 名古屋大学出版部)であった。求職活動が忙しそうだ。