富士正晴集(影書房)

 13日(水)の午前中は文学書道館で日中友好協会の中国語を受講した。今回で楊先生はおしまいで、プレゼントを渡し記念写真を撮った。次回からは王先生になるが、どのような内容になるか楽しみである。午後からは健康班会「認知症」ががあったのだが、体のだるさもあり欠席した。
 14日は先週土曜日の守大助役員会の報告も兼ねて、守さんにはがきを書いた。
 昨日(18日)は花粉症がきつくなったので耳鼻咽喉科を受診した。去年も同じ時期に受診している。行動が制限されて、気持ちよいものでない。 
 最近は音楽CDを聴きながら、本を読んだり中国語の勉強をしたりしている。そこで、12畳においてあるCDを私の部屋に移動した。棚も作った。古い時代のCDばかりで、沖縄・奄美諸島のが80枚ほどある。順繰りに聞いているとのんびりできる。

 「富士正晴集」(影書房 2006年)を読んだ。これは文学書道館で扱っていた本である。文学書道館では、瀬戸内寂聴をはじめ、徳島生まれの作家や香川豊彦など徳島ゆかりの作家の本を扱っているし出版もしている。富士は徳島生まれで(1913年~1987年)、関西に居住した。彼の作品で一番有名なのは「帝国軍隊に於ける学習・序」であろう。これは未来社から1964年に出版されている。私が購入したのは1969年だから、古書店だったのだろう。高度成長時代であったが、それほど恩恵にあずかった記憶がない。大学卒業の時期であった。富士正晴集を購入した動機は、本をパラパラめくっていると「魯迅と私」という一文が目に入ったためである。本書の中に「栞」と題した小冊子が挟まれており。そこで影書房の代表の松本昌次が一文を寄せて、富士正晴について書いていた。それによると松本は以前未来社で編集に携わっており、「帝国軍隊に於ける学習・序」は彼が編集したという。私にとっては奇遇であった。富士が1955年から1984年にかけて書いた随筆が収録されている。ゆったりとしたテンポの文章で、じっくりと彼の心情を味わうことができた。武田泰淳と同じく富士も一兵卒として中国戦線に加わらさせられた。そこでの体験が彼の作家生活の背骨をなしている。

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連れ合いの体調不良、人民教育出版社の「標準日本語 初級 上」

6日(水)は文学書同館で日中友好協会の中国語講座があり参加した。今の楊先生の授業は来週までとなった。彼女はこの後日本各地を友人と旅行して、帰国するらしい。とにかく教えるにあたり予習をしてきている。
 7日(木)は私のおんぼろ軽の車検であった。6万円近くかかった。
 9日(土)は守大助の会の徳島駅前宣伝・署名行動と役員会があり、参加した。チラシの受け取りは、いつもより多かった。この日の夕方5時半、連れ合いが突然体調不良を訴え、吉野川医療センターに行った。血圧が212ほどになり左顔のしびれと左足の痙攣があったようだ。私が付き添って行ったが、検査の結果特に悪いところは見当たらないようで、1時間ほどして少し体調も収まり、薬を処方されることもなく帰宅した。日頃、元気が取りえであちこち歩きまわっているので、本人も私もびっくりした。それでも今週はおとなしくしているに越したことはない。
  10日(日)は午後から林公民館で、外国人への日本語教育があり参加した。私の今日の担当は前回と同じく、中年女性3名へ教えること。皆さん私の下手な解説を、熱心に聞いてくれた。テキストは人民教育出版社の「標準日本語 初級 上」で、9課「四川料理は 辛いです」を学習した。予習が大変だった。

 11日(月)は健生歯科と健生病院の眼科を受診した。この頃、車の運転が危なっかしい。調べてみると少し右目の視野が狭くなっているようだったので、新しい薬を処方された。
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宮内フサさんの張り子面

おはようございます。白川よう子さんがひな人形を見た感想を書いていて、そこで宮内フサさんの「奉公さん」を紹介していた。いつ見ても奉公さんは柔和な顔をしているので、心が和む。そこで、我が家にある宮内フサさんのの張り子面を紹介しよう。高松平和病院の近くにある工房に行って、仕事ぶりを見させてもらったこともありました。
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nagi君、囲碁大会で優勝

 20日(火)は林小学校で日本語教育の補助があり参加した。
 21日(水)午前中は、文学書道館で日中友好協会の中国語があり参加した。今の先生は3月までで終わりとなるが、新しく教えてくれる人を連れてきた。徳大の大学院生である。テキストは引き続き同じものを使う。午後からは健康班会があり連れ合いと参加した。今回のテーマは「100歳体操」であった。大変工夫された体操で、いろいろなバージョンがある。真面目にやると体力をたいそう使う。班会の前に、先日亡くなったⅯさんへの弔意を示し黙とうした。
 22日(木)は林小学校で日本語教育の補助に参加した。5年生の彼、大変上達しているように思えた。あとは応用力の養成である。中国語の勉強では「多読、多聞、多写」が言われるが、日本語でも同様である。この日は寒かった。
 翌日(23日)、朝起きると西にある高越山(別称:阿波富士)に雪が積もっていた。
  25日(日)は林公民館で日本語学習があり参加した。中国人、インドネシア人(すべて男性)が来ていた。私は前回に引き続き、中国人女性4人を担当した。怪しげな中国語を時折入れて解説するのだが、少しは理解してくれただろうか。この日、孫たちは香川で開かれた「ボンド杯 全日本こども囲碁大会 四国地区大会」に参加した。nagi君はB級で参加して優勝した。兄のkaede君の特訓の成果である。私は、全く教えることはなかったので、それがkaede君の敗戦につながったのだろう。

 昨日(26日)はきのこハウスの理事会があり参加した。来年度の予算について説明があった。報酬改定があり今年より少しは良くなるようだ。しかし、施設形態によっては大幅減収になるとkろもある。私は、今年度で12年間お世話になった理事を下りることになった。障碍者運動については全く無知であったが、横田理事長のおかげで少しは理解を深めることができた。徳島の「きょうされん」をはじめ、四国・全国の集会に参加させてもらったおかげである。
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守大助の会役員会、葬式参加

 12日(月)は10日の守大助総会の報告をするため、千葉刑務所の守大助さんに手紙を書いた。また、先日亡くなったⅯさんの葬式に連れ合いと参加した。ところがである、Ⅿさんと同じ病名で近所の人が入院した。寒い時期、脳梗塞は怖い病気だ。

13日(火)は林小学校で、1年生の子に日本語指導の手伝いをした。

 14日(水)は、文学書道館で日中友好協会の中国語に参加した。この日は、皆が書いた中国語作文の添削がされた。自分がかかわった仕事を主題にした作文で、皆さん熱心書いているようだった。特にCさんの長文には感心した。

 15日(木)はこれまた林小学校で5年生に教える補助をした。日本語を読めても、その意味が理解できていない場面に出会う。言葉の意味を早く覚えてほしいとは思うが、本人にとっては大変なことだろう。

 17日(土)は守大助の会の役員会があり参加した。総会の総括を行った。総会では

川上事務局長の不参加というハプニングはあったが、何とか成功させることができた。総会で出された貴重な提案についても論議し、今後の運営に役立てることにした。

 今日(19日)は徳大の中国語教室があったのだが、一番下の孫が発熱したため、私がおもりをすることになって不参加にした。孫は自分の部屋でテレビを見ている。

守大助さんを支援する徳島の会の第19回総会

昨日午後(2月10日)、郷土文化会館で守大助さんを支援する徳島の会の第19回総会と学習会が行なわれた。
 総会には来賓として国民救援会徳島県本部の菊池副会長(弁護士)、倉敷民商弾圧事件の無罪を勝ち取る徳島の会の山根会長ら32名、学習会には27名が参加した。
 私は総会で下記のような冒頭あいさつを行った。
日頃は、守大助さんを支援する徳島の会の会員として、会員の皆さんには大変お世話になっています。
 新年早々の能登地震羽田空港での飛行機事故に加え、自民党派閥による裏金事件と、今年は大変な年の始まりでした。国政選挙でも地方選挙でも国民不在の政治を行う自公政権に、「退場」のレッドカードを突きつけましょう。
  現在、全国には多くの大助さんを支援する会・守る会があり活動を続けています。しかし、コロナウイルスの世界的・日本的な流行はいまだに終息せず、私たちを含め多くの団体がその活動に制限を加えられています。残念ながら徳島の会も大きな活動制限が加えられています。今日の総会でも、川上事務局長が参加できないことはその一つの現れです。
 さらに現在まで第二次再審開始請求がなされていないことは、徳島の会を含め全国各地の会の活動に支障を来たしています。
 一昨年、昨年に続きこの時期、講師をお呼びしてお話しいただくのは不測の事態が起こる可能性も無視できないので、総会後に再度事件について学びなおそうと事件に関するDVDを視聴することにしています。また本日は、東住吉事件の青木惠子さんも一会員として参加されています。あとで発言をいただけると思います。
 会の活動のマイナス面ばかり話しましたが、それでも私たちは540名という全国有数の会員の皆さんのご協力を得て、再審開始に向けて弁護士、全国の仲間と活動を続ける所存です。皆さん、よろしくお願いいたします。
 守大助さんからのメッセージも紹介された。
 大会議案書の提案は事務局長に替わり私が行なった。決算報告・予算案、会計監査報告、役員提案のすべてが満場一致で承認された。討論では、救援活動に若いころからかかわった会員から、運動の改善・発展に向けての発言、来年度の総会にはぜひ守裕子さんを招いてほしい、なんで5人の北陵クリニックの患者が被害にあったのか、その中身について質問があった。これらについては、次回役員会で検討することにした。
 青木さんからは彼女がなぜえん罪支援にかかわっているか、それも支援者・弁護士がいないえん罪被害者、守大助さんを千葉刑務所に訪問した時の思いが語られた。
 総会後の学習会ではテレビ朝日の「ザ・スクープ」第5弾を視聴した。事件の問題点をきちんと取材しており、事件の理解に役立ったと思う。
 その後、場所を移して役員会の懇親会を駅前の眉山で行った。自己紹介もし、青木さんからは総会では聞けなかった苦労話(なんでえん罪支援にかわかっているかなど)を聞くことができ、私を含め役員皆さん大いに気持ちを新たにしたのではないか。
事務局長不在というアクシデントがありながらも、役員・会員のみなさんのおかげで、無事来年度に向けて進むことができた総会であった。


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誕生日、絵馬

 昨日(8日)は私の78回目の誕生日だった。多くの方からお祝いのメッセージをいただき、感謝している。我が家では、連れ合い・娘・孫が祝ってくれた。おいしいお酒も届いた。
 1月の歩数は、1日平均10,714歩だった。少し無理をしたかなと思う。
 5日(月)は久しぶりの雨で、徳大の中国語教室で、テキストの第6課を学んだ。
 6日(火)は林小学校で1年生の日本語援助。この日のⅩ君はあまり気合が入っていなかったようだ。
 7日(水)は午前中文学書道館で、日中友好協会の中国語があった。テキスト「起きてから寝るまで中国語表現1,000」の第7章を学んだ。
  8日の午前中は、これまた林小学校で5年生の彼に、日本語学習の補助をした。彼はなかなか熱心に学んでいるようだ。講師のSさんもいろいろ工夫して教えているので、感心する。実はこの日の午後、近くに住む我が家の親しい友人が急死した。体調はあまり良くはなかったようだが、急にこんなことになるとは連れ合いもショックだったようだ。救急車・パトカーも来て調べていた。
 明日は守大助の会の第19回総会が、郷土文化会館で行われる。ここでも異変が発生。総会の報告をする事務局長から、身内がコロナに感染したと連絡があった。一緒に住む彼女は総会を欠席せざるを得なくなった。急きょ私が議案の提案を行うことになった。今までのんびり安心して総会に臨んでいたのだが、そうもいかなくなった。改めて議案書を読み直した。
 12畳(旧書斎)の絵馬を私の部屋に移動した。

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