国民救援会徳島県本部大会、国都神社秋の例大祭

 19日(水)は4時から陽光学院で中国語。20日(木)は知人を病院まで送っていった。

 21日(金)は国都神社の秋の例大祭があり、私は当番にあたっていたので総代・当屋の皆さんと、祭りの準備で神社の飾りつけをした。翌朝8時には神主が来て祝詞を上げた。23日はもう片づけ。コロナの影響で子ども神輿も出ないので静かなものである。以前だとほとんどの家庭が提灯を出していたのだが、近頃では3分の1もない。神社には屋台も出ていて子どもの楽しみの一つだったがそれもなく、近くの一条神社に数店出ているだけだった。神社の中に書きつけがあって見てみると、国都神社ができたのは天保5年3月(1834年)であった。境内には石碑があって神輿を新調したことが書かれていた。昭和56年(1981年)で寄進者の名前がたくさん記入されている。私の名前もあった。一番多額の寄進者は連れ合いの伯父で20万円、義父は10万円だった。軽輩で子育て中の私は2万円寄進していた。

 

 

 22日(土)午後1時半から徳島市内で日本国民救援会徳島県本部の第48回総会があり、連れ合いと参加した。連れ合いは議長を務めた。私は守大助の会を代表してあいさつと活動報告を行った。総会では林伸豪会長が『自著「僕と啄木と憲法と」を書き終えて』と題して記念講演を行った。


 先日の日本母親大会の物品販売では、またつい手拭いを買ってしまった。

  この間、3日かけて阿波民報の私の担当部数を配布した。

●ロシアのウクライナ侵略は、国際法に反するもので、ロシア軍が直ちに撤退することを要求する!

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富士茂子遺歌集(埋み火 1984.4 柏原千恵子編)

〇年々に鶏頭を育て口癖に祖母が墓参を云うも今頃

〇神様が見て下さると云う母の教えにて呑みてきたり怒りを

〇東京へ子が皆ゆきてこの盆は誰わずらわすことか墓参に

〇蚊やりする如くそこここに立ち昇る花火線香がまた昔呼ぶ

〇十年をへだてて遠きふるさとはあの日のままの街並みに見ゆ

 

日本母親大会、墓参り

10月16日、群馬県高崎市で開かれた、第67回日本母親大会全体会に参加してきた。私の目的は全体会の「今日の運動」のところで、会場に集まった2,500人とZOOMで各地に集まった9,000人に対し、守大助さんの無実を参加したお母さん方に訴えることであった。本来は母親の守祐子さんが訴えるところであったが、体調管理のため参加できず、私が代わって訴えた。大会参加者に訴えることは、第64回(2018年)の高知大会以来ずっと続けられているので、絶やすわけにはいかない。群馬・栃木・東京からの支援者の応援も得て、壇上で守祐子さんの訴えを代読した。訴えは、以下のとおり。
  「無実の罪で21年間も拘束されている守大助の母、守裕子です。えん罪事件がこれほど長い間苦しまなければならないのか。警察の杜撰な捜査を裁判所さえも信じ込んだのです。息子は二度と戻らない青春と将来を奪われ、私たちは平穏な暮らしを奪われ続けています。息子は51歳、後期高齢者の私たちはどんな事があっても息子が帰るまで生き続けます。私が生んで私が育てた子供です。日本中のお母さん、無実の息子を助けて下さい。どうかお願いします。」
 訴えを終わると会場から大きな拍手が沸き起こった。後で聞くと、仙台・徳島をはじめ多くの地域で聞いていた人たちからも拍手が起こったそうだ。大助さんを一日でも早く、ご両親のもとに取り戻そうと改めて決意を固めた瞬間であった。

 翌17日は、千葉刑務所に行って大助さんを励ますことにしていた。ところが仕事上のささいな口論を口実にされて懲罰を受け、面会できなかった。日本の司法は、なんでも懲罰をすれば人を矯正できると誤信しているようだ。まったく時代錯誤の行為としか思われない。
 そこで、兄(松戸市在住)に電話して両親の墓参り(柏にある)に行くことにした。弟も(これまた松戸市在住)来て3人で行くことになった。コロナの影響で3年ぶりである。花を活けて祈ってきた。

 話変わって、15日(土)の夕方、ホテルの近くを散歩した。すぐ裏にアーケード街があったが、見事にさびれていた。中央通りという名前だから、昔は高崎市でも一番の繁華街だったのだろう。40%はシャターが閉まっていた。歩いていくと本屋があった。私よりも年のいった女性が店番をしていた。入ってみると本が並んでいた。驚くことに一番多く本棚を占めているのが、岩波書店の本であった。普通だと同じ本は並んでいないのだが、同名の本が何冊もあった。そこで敬意を表して買ったのが、「草の根のファシズム 日本民衆の戦争体験」(吉見義明 2022.8)であった。本棚を見てみると、30年前、40年前の本もたくさん並んでいる。いい本があったので安くならないかと聞くと、定価通りの値段だと答えが返ってきた。欲しかったがあきらめた。これからも細々でもよいいから営業を続けてほしいと思った。
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「埋み火」富士茂子遺歌集(1984.4 柏原千恵子編)
ふるさとの空
〇三十才昨日の如しかけがのなき人生もすでに五十か
〇思いきり大地へぶてり誰恨むようなき弱さ嘆くあまりに
〇おっぱいをくわえる子豚の可愛さを友に語りき午の休みに
〇やるせなく耐え得ぬものを溜息に交えて今日も唄う隣房
〇打ち上ぐる花火の音に軽く眼を閉じて見ているふるさとの夜
〇爆音に縋(すが)れどすでに限られし視界を逃げてしまう飛行機

守大助の会、「漱石論」、白眉孔雀咲く

 



8日(土)の夕食は、寒かったので娘の要望でおでんであった。今季初めてで、皆喜んで食べた。体が温まった。
 9日(日)朝は恒例のあわ9条の会による、マルナカ柿原店前でのスタンディングがあったので参加した。この日は参加者5名。時折、車の中から手を振ってくれる人がいる。
 午後からは守大助の会の役員会があった。雨が降ってきたので、徳島駅前での宣伝行動は中止になった。会員数は528名で目標まであと12名との報告があった。9月30日の全国連絡会議、10月2日の高知の総会参加の報告があった。当面の活動として、10月10日のニュース「僕はやってない」第65号の発行と配布、日本母親大会の参加(私が大会会場で守裕子さんの訴えを代読することになっている)と大助さんとの千葉刑務所での面会(実現できるかは現在不明)。10月22日の国民救援会県本部大会参加、29日の「大崎事件と再審法改正」参加、来年の大助さんあての年賀状の取り組みなどが話し合われた。
  「漱石論」(小森陽一 岩波書店 2010.5)を読んだ。なかなか私には難しい言葉がたくさん出てきて、読み進めるのが大変だった。この本、NTTドコモに行ったときすぐ前にブックオフがあり時間があったのでちょっと覗いてみて買った。これを売った人も読むのにだいぶ苦労したようだ。本のところどころに読んだ日付が書かれていた。それによると読了に1か月余りかかったようだ。私も同じだった。本の帯には「今を生きる苦しさを知る 漱石を知らないあなたへ」と書かれいる。なるほど、中学や高校で習った漱石像とは全くかけ離れている。時代より先に進んで生きた漱石の姿が少しばかり理解できた。「序論」で、「何よりも重要なのは、漱石の小説世界が、帝国主義段階に入ったこの国において、人間の営む社会が、そして人間それ自体が、どのような崩壊の危機に曝されているのかを、隈無く詳らかに日本語で表現したことである。」と書いている。旧社会の残滓が色濃く残る日本から英国留学したのだから、カルチャーショックは大きかっただろうし、心を病むのも致し方なかったようだ。
 昨晩は白眉孔雀が12輪咲いた。見事なものだ。
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富士茂子遺歌集(埋み火 1984.4 柏原千恵子編)
ふるさとの空
〇地下茎を持つ根強さに雑草に埋もれていてもカンナ花をつく
〇しゃがんだり立ったり看守熱心に苗床の手入れするか中庭
〇担当者の笑顔に触れてとりとめのつかぬ昔をふと語り出す
〇子に依存せざる末々でありたしと折にふれては夫と語りき
〇気炎あげアサヒビールを飲むときのあの満悦が浮ぶ広告

月下美人など咲く、台風被害修理完了

 昨日アップしたつもりができていなかった。
急に寒くなって、上布団を連れ合いが出してきた。今日は5時前に起きたので特に寒かった。これぐらいが普通の秋なのだろうか。暑さ寒さの差が激しく、季節感が狂ってきている。
 一昨日、我が家の一晩しか咲かない、月下美人、十三夜美人、宵待孔雀、姫月下美人、白眉孔雀(花は紹介した順)が咲いた。一緒に咲くのは珍しい。月下美人は昨晩5輪咲いたが、見逃した。

 昨日は、高志ガラス建材が温室の屋根を張り替えて直してくれた。これで月下美人などの花の冬も万全だ。花の追加は、青始祖、陽光学院前の花。
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「埋み火」富士茂子遺歌集(1984.4 柏原千恵子編)
蟇蛙の喉
〇向日葵に水幾度もかけてやり房の暑さを紛らわしいる
〇午後三時茹(うだ)る暑さに一ときの乾きを癒せと給う氷水
〇吾のみの暑さにあらず触れたいと思う視線が並ぶ氷へ
〇ふつふつと沸(たぎ)る怒りをのむ人の強さに見えて蟇蛙の喉
〇重き荷を背負い喘(あえ)げる人間の生活が見ゆ青函連絡船
〇どの顔も満足感をあふれさせ作業の後の入浴のとき
〇一服の茶を飲むことを楽しみに足はずませて帰る舎房へ
〇順列に並ぶナンバーの四が吾の馴染む居房か背番号の如く

芋ほり、守大助の会、高知の会総会、映画「オレの記念日」

 9月28日(水)は陽光学院で中国語。29日には台風で被害を被った個所の見積もりを業者がもってきた。被害3か所で15万円ほどの出費になる。年金生活者としてはつらいが、直さなければ生活が困る。
 30日(金)午前中は5歳の孫が通っている子ども園主催の芋ほりがあり、連れ合いと参加した。近所の農家の協力で、春に植え、秋に収穫となった。子ども60名ほどに保育士、保護者などを入れると90名ほどになった。大賑わいである。天気も好く、大きな芋が掘れるたびに大人も歓声を上げた。
 午後は守大助さんを支援する会の全国連絡会代表者会議があり、我が家で総勢4名がZoomで参加した。22の会40名あまりの参加だった。2時間半ほどの会議で、各地から運動を進めるためのいろんな意見が出された。現在、第二次再審請求の準備中で、必ず次回は勝つための方針を確立することが求められている。
 2日(日)は、守大助さんを支援する高知の会の総会と布川事件の元被告桜井昌司さんの話と、彼のドキュメンタリー映画「オレの記念日」の上映があり、徳島から5名が参加した。桜井さんはえん罪で刑務所で29年もの長期間自由を奪われた。今はがんと闘っている中で、えん罪をなくす取り組みに力を注いでいる。映画の中でも講演の時も、明るい笑顔で大きな声で私たちに語り掛けてきた。とにかく前向きに明るく生きていることの喜びが感じさせられた。
 私の高知総会でのあいさつは以下のとおり。
 総会の開催おめでとうございます。今日は徳島から5名が参加させていただきました。その目的は勿論、総会に参加して皆様の活動を知り、私たち徳島の会の発展につなげることです。しかし、もう一つあります。桜井昌司さんのお話を聞き、映画「オレの記念日」を見、えん罪についてもっと知り、私たちの運動の改善をはかることです。
 先日、9月30日に久しぶりに全国連絡会代表者会議がZOOMで開かれ、全国から22の会、40名余りが参加し、今後の取り組みについて協議しました。そこでは、①第二次再審に向けた闘いの現状を共通認識すること、②全国連絡会の体制と機能強化について、③当面の具体的運動方針を協議すること、④財政について が話されました。
 今、コロナの影響で多くの会がその活動を制限させられていますが、会議ではどれも当然なことですが、①宣伝・署名活動を行うこと、新しいチラシが用意されています。②事件の内容を知ることが大事で、学習を行うこと。③守大助さんへの激励、④日本母親大会In埼玉・群馬で訴えること、この訴えは高知大会から始まり、今までずっと続いています。今年はお母さんの祐子さんが体調不良のため、私が代わって母親大会の壇上でお母さんの訴えを読み上げることになりました。⑤他事件との連帯及び再審法改正の運動を進めることが提起されました。
 四国の会として、今後とも協力・共同して守大助さんを一日でも早くご両親のもとに戻すことができるよう、お互いに頑張りましょう。
 徳島・高知の長距離の運転、Ⅿさんご苦労様でした。
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富士茂子遺歌集(埋み火 1984.4 柏原千恵子編)
蟇蛙の喉
〇何も彼も夢の如くに思うなりこの門くぐりし日も二年前
〇放心の如くひかれて来しものか今印象を何もとどめず
〇吾ために受けし世間の迫害に恨みがましき便り妹
〇良き朝の陽は登るなり箒目は正しくつきぬ庭の隅まで
〇雷の夜も太平な子守歌聞く心地すも獄なればこそ
〇肉親の愛に溺れる妹の便り見ていて又泣けてくる
〇七年の悩みはいかに深からむ偽証の罪におびゆ彼等は
〇少数の意見も入れる寛容が時代の政治にふさわしく思う
〇率直に正しきものが女大臣になって慾しいと祈る獄舎に

 

お彼岸、阿波民報18号、道の駅くるくるなると

 21日(水)は陽光学院で中国語。あらかじめピンイン(発音記号)で中国語の単語が宿題として出された。そのピンインを中国語に直して講義を受ける。ピンインに登場した単語が入った例文を先生が読み、文章に沿った問題に答えるのだが、なかなか手ごわい。

 23日(祭)はお彼岸。皆で我が家の近くにある連れ合いの実家の墓参りをし、義弟の家にも寄って仏壇にお線香をあげた。春・秋のお彼岸には連れ合いが仏壇に花を活けている。満開で、ご先祖様もさぞかし喜んでいるだろう。午後3時から、私を除いて皆は四国88番霊場の10番切幡寺に行った。孫たちの狙いは、そこに出ている市で好きなものを買ってもらうことにある。

 阿波市議会は8月29日に始まり9月22に終わった。早速翌日には中野議員が議会の報告を書いて持ってきた。私の役割は、その原稿をもとに阿波民報第18号を作成することにある。連れ合いにも校正を手伝ってもらって、昨日しあげた。印刷されたら自分の分担地域に配らなければならない。

 24日(土)は一番上の孫を残して、道の駅くるくるなると(渦潮をイメージした命名か)に行ってきた。休みなので大変な人出であった。なかなか駐車場に入れない。皆さん、思い思いのものを買い(私はメダカを購入(ついつい買ってしまった。ブラックスワロー 3匹で1,100円)、おいしい昼食も食べて(ホレタテキッチン。本来は海鮮料理を食べたかったのだが長蛇の列であきらめた)これまた満足。どういう訳か私たちのテーブルにだけサービスでケーキが付いた。鳴門はワカメ・さつまいも・鯛で有名だが、広場には大きなさつまいもがあった。

 メダカの池を掃除していたのだが、1時過ぎから時折雷を伴った豪雨になった。そこでこれを書いている。

 26日(月)はきのこハウスの理事会があったので参加した。経営・運営について、利用者の動向についてなどが報告された。最賃が改定されたのでパート職員の時給について確認された。とにかく、日本の最賃は低すぎる。国は雇用と経済を破壊した安倍元総理の国葬に無駄な税金を使うことなく、日本を底辺で支えている国民の生活改善に使ってほしいものだ。

 台風14号が過ぎて秋らしい天気になってきたので、満月美人、姫月下美人がたくさん咲きだした。ドラゴンフルーツの実がが真っ赤になった。

 最近は涼しくなってきたので、5歳の孫の保育園への見送りがてら(我が家から200mほどしかない)に近くの吉野川の柿原堰まで行った。まだまだ台風の影響で水流は速い。

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「埋み火」富士茂子遺歌集(1984.4 柏原千恵子編)

〇午すぎのうだる暑さに気兼ねなく足しなだれて獄に寝る猫

〇許されて畳に伏せば空白が再び胸を覆う七年

〇交通の激しさ知らぬ別世界住みつく者の臆病な眼よ

〇睡蓮の花萎みたり泉水の水面に夕陽の影おとすころ

 

 

 

台風14号で被害、内科受診、半藤一利など

 18日は夕方から強い雨風だった。その時台風14号はまだ九州にあったが、徳島の我が家も大変だった。19日(月)午前1時に激しい音で目を覚まさせられた。「ドカーン、ドカーン、ドスン、ドスンと」連続して鳴ってとても眠れない。懐中電灯で私の部屋から音の鳴る外を見ると、洗濯物干しの屋根のポリカの釘がいくつも外れ強い風で舞い上がっているだけでなく、それを支えている10cmの角材の柱もリズミカル(?)に吹き上げられていた。心配でとても眠れない。仕方がないのでそのまま起きて本を読んだり、パソコンをいじったりしてみたが落ち着かなかった。
 それだけではなかった。朝食後外に出てみると、ノウゼンカズラの木が倒れていた。また、温室の屋根の1/6が飛ばされてなくなって、破片が我が家の裏の阿波高校グランド前の道路まで飛んでいた。さらに雨どいが一部飛んでいてメダカの池に落ちていた。5年前の9月17日の台風でも同じような被害にあった。我が家の北は囲いがあるが、南・東は畑なので、まともに雨風の影響を受ける。


 20日(火)の午前中は台風の片づけをした。植木鉢など重いものを運んだので、痛い腰がさらに痛くなった。JA共済に被害の状況を見てもらった。多少は給付の対象になるだろう。午後からは健生病院を受診。血液検査・CT検査をして診察をしてもらった。胸のCT検査の結果は10年前と変わらないということだった。一安心。血圧も上が130で下が59であった。
 9月3日に大輪柱が受粉して実が大きくなったと報告したが、赤くなって食べられそうになった。初めてのことでしかも実には刺がいっぱいあるので、娘は慎重に皮をむいた。中はドラゴンフルーツを少し小さくしたようで白い果肉の中に黒い種があり、こわごわ食べてみると味は同じだった。来年からは一つでなく、どれも受粉させてみようか。台風の中でもドラゴンフルーツは咲いてくれたが、夜に見る余裕はなかった。朝方にもまだ開いていたので受粉させた。果たして実がなるか。

 台風の下で読んだのが「漱石・明治・日本の青春」(半藤一利 新講社 2010年4月)だった。付録として戯曲「夢・草枕」が付いている。漱石(1867.2~1916.12)は明治末期から大正初期にかけて活躍したが、中学・高校では漱石をどう教えているのだろうか。彼が明治の時代をどう評価し、日清・日露戦争をどう見ていたのかきちんと教えてもらいたいと思った。彼が詠んだ俳句や短歌(漢詩もたくさん作っているが)が紹介されている。著者は本書の冒頭で座右の銘にしたい句として「菫ほど小さき人に生まれたし」を選んでいる。そして、「スミレという小さいながら、素朴で、清純で、やさしいこの花に、漱石はかぎりない愛情をそそいで句にしている。この花は出しゃばらずに片隅にひっそりと咲く。」と語っている。
 確かに小さくて清純なのだが、どうしてどうしてとてもそうは思われない。十数年前に花屋で菫の花を何種類か買って庭に植えたのだが、放っておくと庭中にはびこる。根が地中に広がり、花の種もたくさん落とす。その整理が毎年大変だ。他の花も生き残りをかけてそうしている。

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富士茂子遺歌集(埋み火 1984.4 柏原千恵子編)
夜の獄舎
〇炎天の真昼にめげずおおらかに囚人のコーラス空へ拡がる
〇集まれば互いの汗がむれあいて腐(す)えた臭いが鼻ついてくる
〇つつがなく天の川へとねんごろに折鶴たたむ七夕の宵
〇永遠の睡りが死なりただひと眼子に逢いたしと思うこの朝
〇おもおえば人と人とが率直に云わず云わせず生きるこれの世
〇さだめなきものが浮世と悠久に流るる雲をじっと見ている
〇みもごりの女暑きに蚊を打つがにぶくひびきぬ夜の獄舎に