台風14号で被害、内科受診、半藤一利など

 18日は夕方から強い雨風だった。その時台風14号はまだ九州にあったが、徳島の我が家も大変だった。19日(月)午前1時に激しい音で目を覚まさせられた。「ドカーン、ドカーン、ドスン、ドスンと」連続して鳴ってとても眠れない。懐中電灯で私の部屋から音の鳴る外を見ると、洗濯物干しの屋根のポリカの釘がいくつも外れ強い風で舞い上がっているだけでなく、それを支えている10cmの角材の柱もリズミカル(?)に吹き上げられていた。心配でとても眠れない。仕方がないのでそのまま起きて本を読んだり、パソコンをいじったりしてみたが落ち着かなかった。
 それだけではなかった。朝食後外に出てみると、ノウゼンカズラの木が倒れていた。また、温室の屋根の1/6が飛ばされてなくなって、破片が我が家の裏の阿波高校グランド前の道路まで飛んでいた。さらに雨どいが一部飛んでいてメダカの池に落ちていた。5年前の9月17日の台風でも同じような被害にあった。我が家の北は囲いがあるが、南・東は畑なので、まともに雨風の影響を受ける。


 20日(火)の午前中は台風の片づけをした。植木鉢など重いものを運んだので、痛い腰がさらに痛くなった。JA共済に被害の状況を見てもらった。多少は給付の対象になるだろう。午後からは健生病院を受診。血液検査・CT検査をして診察をしてもらった。胸のCT検査の結果は10年前と変わらないということだった。一安心。血圧も上が130で下が59であった。
 9月3日に大輪柱が受粉して実が大きくなったと報告したが、赤くなって食べられそうになった。初めてのことでしかも実には刺がいっぱいあるので、娘は慎重に皮をむいた。中はドラゴンフルーツを少し小さくしたようで白い果肉の中に黒い種があり、こわごわ食べてみると味は同じだった。来年からは一つでなく、どれも受粉させてみようか。台風の中でもドラゴンフルーツは咲いてくれたが、夜に見る余裕はなかった。朝方にもまだ開いていたので受粉させた。果たして実がなるか。

 台風の下で読んだのが「漱石・明治・日本の青春」(半藤一利 新講社 2010年4月)だった。付録として戯曲「夢・草枕」が付いている。漱石(1867.2~1916.12)は明治末期から大正初期にかけて活躍したが、中学・高校では漱石をどう教えているのだろうか。彼が明治の時代をどう評価し、日清・日露戦争をどう見ていたのかきちんと教えてもらいたいと思った。彼が詠んだ俳句や短歌(漢詩もたくさん作っているが)が紹介されている。著者は本書の冒頭で座右の銘にしたい句として「菫ほど小さき人に生まれたし」を選んでいる。そして、「スミレという小さいながら、素朴で、清純で、やさしいこの花に、漱石はかぎりない愛情をそそいで句にしている。この花は出しゃばらずに片隅にひっそりと咲く。」と語っている。
 確かに小さくて清純なのだが、どうしてどうしてとてもそうは思われない。十数年前に花屋で菫の花を何種類か買って庭に植えたのだが、放っておくと庭中にはびこる。根が地中に広がり、花の種もたくさん落とす。その整理が毎年大変だ。他の花も生き残りをかけてそうしている。

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富士茂子遺歌集(埋み火 1984.4 柏原千恵子編)
夜の獄舎
〇炎天の真昼にめげずおおらかに囚人のコーラス空へ拡がる
〇集まれば互いの汗がむれあいて腐(す)えた臭いが鼻ついてくる
〇つつがなく天の川へとねんごろに折鶴たたむ七夕の宵
〇永遠の睡りが死なりただひと眼子に逢いたしと思うこの朝
〇おもおえば人と人とが率直に云わず云わせず生きるこれの世
〇さだめなきものが浮世と悠久に流るる雲をじっと見ている
〇みもごりの女暑きに蚊を打つがにぶくひびきぬ夜の獄舎に