台風7号、エラブ余話

 今徳島は、台風7号の影響で昨晩から雨風が強い。そうは言ってもエラブの台風のほどはない。
 当然のことだが、なかなか疲れがとれない。庭の草取りやメダカの池の清掃など、することがたくさんある。
 そのうえ、帰ってきた翌日は奈津の誕生会があった。本来は誕生日当日にしていたのだが、台風7号の影響で大阪・堺から徳島に帰省していた姪一家が14日には帰阪しなければならなくなったので13日開催となった。主人公の娘は、自分でピザパイを作り(孫たちも手伝ってくれた)やることがたくさんある。連れ合いは皆が好きなロールキャベツ担当。6時前に小2の子どもを連れて姪一家がやってきた。彼女の連れ合いは、単身赴任で東京で仕事をしている。皆で久しぶりの再会と娘の誕生日、ついでに私の無事な帰還を祝って乾杯した。おいしい食事とお酒でした。子どもたちは花火で大喜びであった。
 永良部では先田さんから「シマウタ歌詞選集 沖永良部島」をいただいた。252首の歌が紹介されていたが、今ではほとんどの人が歌えないのでは? 
  11日(金)に乗ったフェリーは5,910トンで全長140mあり470人を乗せることができる。鹿児島から名瀬等を経て沖縄に行く航路なので、船には無料の大きな風呂が備わっている。売店には土産物などが置かれていたが、鹿児島・沖縄航路にふさわしく、奄美・沖縄に関する本が100冊近く並んでいた。そこには先田光演著の「仲為日記」「奄美諸島の砂糖政策と倒幕資金」も並んでいた。この旅行では娘が買ってくれた鹿児島方言の手ぬぐいと、エラブで買ったヤギの手ぬぐいを入手した。
 船と言えば、もう60年余り前になるが小学5年の時双子の姉とエラブに行ったのだが(大学生の従姉の帰省について行った)、その時に乗った貨客船は照国丸と言って978トン、全長64m、乗船者数111名の小さな船だった。当時は着岸できる岸壁もなく、沖に船を止めて伝馬船に乗り換えて上陸するというものだった。船から伝馬船に飛び乗る、伝馬船が大きな波の下にいくと上方に波があるという恐ろしいものだった。

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