9条の会、あわの道ウオーキング、守大助の会

 11日(土)、阿波市健康推進課主催の「第19回AWAの道ウオーキング」が開催され、連れ合いとNAGI君・KEI君・娘と参加した。天気も良く、参加者は62名だったが、市役所のスタッフもたくさんいた。10時から土成支所前の庭で開会式をした後、ラジオ体操をして出発。コースは、土成歴史資料館→熊谷寺→御所神社→神宮寺→土成中央公園→菩提山彌勒寺→三木武夫(元総理大臣)邸跡→土成歴史資料館の約5キロだった。先日熊谷寺に行った時には2分咲きだった蜂須賀桜は満開だった。門前の大きな木蓮の花も満開。熊谷寺の比較的広い駐車場も、参拝者の車で満杯。熊谷寺ではつい手ぬぐいを買ってしまった。

 12日(日)朝は、あわ9条の会の恒例の宣伝行動がマルナカ柿原店前であった。この日は、Kaede君・Nagi君が香川で開かれた囲碁大会に娘と参加したため、Kei君も宣伝行動に参加した。退屈なのに40分間よく頑張った。夕方帰ってきた二人に結果を聞くと、二人とも3位であった。
  午後は守大助の会の徳島駅前宣伝行動と、役員会があり参加した。今後の取り組みの討議をした後、裁判資料の読み合わせをした。
 今朝(14日)の徳島新聞には、袴田事件の再審決定について大きく報道されていた。新聞の一面、二面だけでなく、社説にも「袴田事件再審決定 検察はもう抗告するな」の見出しがあった。社期の文章の最後には「長期拘留と死刑への恐怖で拘禁症状を発した袴田さんは87歳、支える姉のひで子さんは90歳を数える。司法制度の欠陥を早急に改めねばならぬ。」全くその通りで、検察は今まで犯してきた証拠の捏造を真摯に認めなければならない。
 新聞には大江健三郎の死も報じられていた。9条の会の提唱者の一人として、憲法9条の重要さを世界・日本に発し続けてきた人の遺志を継いでいかなければと思いを新たにした。記事にはこう書かれている。「言論活動でも、『行動する作家』であり続けた。冷戦と核兵器が世界を脅かす時代を背景に『ヒロシマ・ノート』『沖縄ノート』を著し、積極的に平和と反核を唱えた。」
 11日は東日本大震災が発生して12年目となった。いまだに政府の政策は震災被害者の側に立っていない。原発の稼働をさらに長期間にして、危険の防止対策をおろそかにしている。
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日本唱歌集(1958.12 岩波文庫
埴生の宿(中等唱歌集 明治22.12)
 埴生の宿も、わが宿
 玉のよそい、うらやまじ
 のどかなりや、春のそら
 花はあるじ、鳥は友
 オーわがやどよ、たのしとも、たのもしや
 この原曲はビショツプ(1786~1855)の「楽しきわが家」