大連旅行改訂版

 昨日の「大連旅行」は一部誤りがあったので、改訂版を掲載する。そうは言ってもこれも誤りがあるかもしれないが、ご容赦を願う。

 昨晩、帰国を歓迎するように、夜の女王・大輪柱・宵待孔雀。満月美人が咲いてくれた。

 5月24日から27日まで、連れ合いと中国の大連に行ってきた。これは、私が学んでいる徳島県日中友好協会の紹介であった。大連は今まで行ったことがないので、行く気になった。案内によると、大連でウオーキングをすることがメインであった。主催は大連市中日友好協会で、今までにコロナの時期3年間を除いて、6回目であった。大連の友好協会の会長は于建軍さんで、長らく駐日大使館の外交官として働いていた。

 今回の旅行の趣旨を全く理解せず参加したが、大連に行って見て驚いた。旅行会社が主催するツアーと違って、どこでも大変な歓迎ぶりである。大連テレビ局の日本語班が取材に来ていた。

 24日(金)は夜8時過ぎに着いたが、そこでは他県から集まった人がすでに宴会をしていた。寝たのが11時過ぎ。ここで、26日のウオークの道具一式(Tシャツ・帽子・手ぬぐい・うちわ)が配られた。どれもイベントに関する絵などが描かれていて、力の入れようが理解された。

翌日は大連市内の観光であった。行ったのは(順不同)、海に浮かぶ星海湾海上大橋(2015年10月開通で全長6.8キロ)、100年の歴史を持つ路面電車に貸し切りで乗った。旅行客には大変人気があるようだ。路面電車のしおり『书签』をもらった。車窓から見る大連の町は風情があった。大連博物館見学(ここで「去大連」88元:1元は約20円、と4枚組の絵葉書12元を購入)をした。博物館では、私が関心を持っていた日清・日露戦争に関する資料も見ることができた。動物園でジャイアントパンダ見学(お尻が土で茶色く、寝そべっていた)。広い園内は土曜日だったので、多くの家族連れがパンダ見学や遊具で遊んで楽しんでいた。動物園では、楽しみにしていたアカシヤの花が咲いていた。もう何十年もの昔、清岡卓行という作家が書いた「アカシヤの大連」という小説を読んだことがある。1970年に芥川賞受賞。そこで、大連にはいつかは行きたいと思ったのだった。東港ベニス水域では多くの人が、寄ってくるたくさんのカモメに餌をやっていた。この日の昼食は大連のラーメンであったが、私が食べたのは比較的あっさりしたラーメンでおいしかった。その後宿舎に戻り、少し休憩してから、中日友好協会の人たちと交流した。双方が持参したプレゼントの交換もあった。大きな赤い袋には、上品でおいしそうなお菓子が入っていた。また、本「海韻 大連」もいただいたが、大連が観光と交流に力を入れていることが理解された。夕食は東港ベニス水域にある水餃子のレストラン「喜鼎」で摂った。四国からの参加者たちだけなのだが、私たちのように初めての参加者もいたので、自己紹介をした。香川の参加者が圧倒的に多く(17人)、愛媛・高知が各一人だった。食事のメインは海鮮水餃子でとてもおいしく、多くの人が長い行列を作って、順番を待っていた。大連の町は大戦前、日本の租借地であったがその風景はほとんど見られず、高層マンションが林立して、しかも中国の他の都市と違って道も清潔であった。

 26日(日)はメインのウオーク(中国語では「徒歩行」)であったが、私は明け方前から体調不良(みぞおちがひどく痛む)ので、薬を飲んで(中国薬をホテルでもらった)大事を取って不参加にした(少しばかりホテルの周りを散策。ホテルの裏通りには食事の店や中国風のコンビニ【便利店】がたくさんあった)。少し天気が悪かったが、連れ合いは皆さんと元気に歩いたようだ。午後からは、皆でお土産を買いにデパートとスーパー(超市)に行った。大連の担当者が案内してくれて助かった。買い物を終えてデパートを出た広場で、人が倒れていた。参加者の香川の人が看護師で、応急手当てをして救急車の来るのを待った。

この日の晩は完走者表彰式と送別会であった。大連市の中日友好協会の人たちがたくさん参加してくれて大いににぎわった。いろんな人がかわるがわるあいさつしたが、これが長くて困った。日本語であいさつすると中国語に翻訳、中国語であいさつすると日本語に翻訳。ただでさえ長いのに退屈してしまった。しかし、歓迎の歌や踊り・楽器演奏には大満足した。特に子どもたちが演技した「变脸」(京劇と似た様式で行われる中国の伝統的演劇であるが、変臉(へんれん)と呼ばれる、瞬時に瞼譜(隈取)を変える技巧で有名。)は小学生4人が演じたが、一瞬に変る顔の早業は見事なものであった。こうして伝統演芸が保護され続けられているのだと、感心させられた。私の隣の席の人は「気功」の先生で、日本各地で教えていると語ったが、日本のこと中国のこといろいろ話をして、中国への理解が一層深まった。彼は夜学で日本語を学んだというが、努力家でもあり親日家(大連は非常に多い)でもあった。この送別会でも、パンダの手提げと大きな袋に入ったお菓子「赤蝦」をいただいた。

 27日(月)は四国から参加した皆さんは、オプションツアーで南京旅行に参加のため、午前5時起床ですぐに出発。私たち夫婦は12時発の飛行機で、関空に出発した。ありがたいことに飛行場迄送ってもらった。関空から三宮(ここで夕食)までバスまで行き、7時のバスで土成まで帰ってきた。我が家に着いたのは午後9時だった。とにかく温かい歓迎とプレゼント(大連市や企業からの援助があると思うが)で意義ある旅行だった。体調が悪かった私に、いろいろと声を多くの方からかけてもらった、感謝・感謝。

 旅行で歩いた歩数は、24日:8,184歩、25日:10,036歩、26日:10348歩、27日:7,262歩。

 メモをしていたのだが、そのメモも状況が良く変わるので追いつけなかった。記憶違いもあろうが、大連は印象深い町となった。