「本が好き、悪口言うはもっと好き」(ちくま文庫 高島俊男)と「江戸の旅人」(集英社文庫 高橋千劔破:ちはやと読む)を読んだ。前者は11月23日に紹介した「漱石の夏休み」が面白かったため。
目次には、①うまいものあり、重箱のスミ、②新聞醜悪録、③書評十番勝負 ④「支那」はわるいことばだろうか ⑤ネアカ李白とネクラ杜甫 ⑥なごやかなる修羅場 ⑦湖辺漫筆 ⑧回や其の楽を改めず ⑨駄文縁起 に別れていて、それぞれ楽しい著者の考えが書かれていた。「支那」という言葉は以前は中国でも使用していた。日本でもそうであった。「シナ」という言葉をパソコンで入力していたら、どうしても選択肢に出てこない。今ではどの辞書でも差別語として認識しているからであろうか。「支那」という語の来歴を紹介して使用の妥当性を言っているが、そうは言っても著者はその使用を他人に強制してはいない。「中国」という語を他国の人が使う、そのおかしさも指摘している。
「江戸の旅人」のサブタイトルは「大名から逃亡者まで30人の旅」としている。320pほどの本に30人の旅を紹介しているので、紹介に少し無理があるようだ。それならば平凡社の東洋文庫にこれらの旅人の日記などがいくつかあるので、それを読んだらなお江戸時代の旅の面白さが伝わってくるのだろう。しかし、私にはそんな体力がない。女性の旅についても5人の旅について紹介している。江戸時代も時代が下がると、多くの女性も旅をしていることが伺われた。以前、「”きよのさん”と歩く江戸六百里」(金森敦子)を読んだが、これは豪勢な旅行であった。お供を連れて108日間、2,340キロの旅であった。山形の鶴岡から、日光、江戸、伊勢、京都、大阪、金沢と旅をしたのだから、すごい。
9日(水)の夜は我が家であわ9条の会の事務局会議があり、ニュースの発行などについて話しあった。
12日(土)は陽光学院で同じく学んでいる人と先生で、県庁前の「龍殿」という中華料理店で昼食をとった。おいしかった。中華料理好きの連れ合いも行きたいと言った。そこの料理長は最近中国語を陽光学院で学んでいる。彼と同じ時間帯で学んでいる女性が、昔私が労働組合運動をしている時に知っているとのことで驚いた。午後からは陽明学堂で中国語。ほとんど毎週2回中国語を学んでいる。それでもあまり上達しない。
今朝(13日)は連れ合いからウォークの誘いがあった。一昨日も歩いた、土成図書館~熊谷寺(土地の人は親しみを込めて熊谷さんと言う)~スポーツ公園の約1時間コースを歩いた。熊谷寺に着くと、連れ合いの同級生たちが椅子に腰かけて話していた。皆さん毎日のように自宅から歩いてきて、ここで話をすることを楽しんでいる。ミカンを頂いた。記帳所に立ち寄るとてぬぐいがあった。熊谷寺の御詠歌が書かれている。
「薪とり水熊谷の寺に来て 難行するも後の世のため」と書かれている。値は400円。
熊谷寺の山門の桜は見事であり、記念切手にもなっている。
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846 うき世をば高くのがれて国上山あかたに川の水をしるべに
847 国上山杉の下道ふみわけてわが住む庵にいざかへりてむ
848 いざここにわが身は老いむあしひきの国上の山の松の下いほ
849 あしひきの国上の山をもし問はば心におもへ白雲の外
850 恋しくばたづねて来ませあしひきの国上の山の森の下いほ