健康班会、忙しかった21日、国都神社社日、「台湾新文学と魯迅」(東方書店)

 19日(火)夜は、徳島健康生協の健康班会があったので、連れ合いと参加した。この日は、新しく参加した人もいて、自己紹介を行ったが皆さん知っている人ばかり。今回のテーマは「甲状腺の病気」であった。甲状腺はどこにあるか、どんな働きをしているか、甲状腺ホルモンの働き、甲状腺に異常があるとどうなるか、どんな症状が現れるか、などについて話をしてもらった。甲状腺機能が亢進した場合と、低下した場合の症状をそれぞれチェックした。参加者のみなさん、異常はなかった。

 21日(木)は忙しい一日であった。早朝、小用を終わらせた後、県知事選挙の告示日であったので、連れ合いと天羽候補のポスターを張りにいった。住んでいる吉野町には掲示板が21カ所ある。その後、義弟夫婦とお彼岸の中日であるので、四国八十八カ所第10番の切幡寺に行ってきた。毎年、春秋にお参りしている。階段が333段あるので登るのに一苦労するが、そこから見下ろす吉野川の風景は素晴らしい。桜が咲いていると、もっと見事なのだが、つぼみは 膨らんでいるだけだった。この日は暑く25度もあり、汗だくになった。

f:id:tetuo0208:20190321110151j:plain

f:id:tetuo0208:20190321105001j:plain

 夜6時半から公民館で地元自治会の総会があった。これはすんなり活動報告・決算・次期役員が承認された。その後、認定こども園の建設が始まっているのだが、それについての話し合いが持たれた。一番重要なのは、認定こども園に行く道路についてであった。これまでも何回も阿波市と協議しているのだが、なかなか私たちの危惧を理解してくれない。こども園に行く道は狭く、そこの交差点は何度も交通事故があり、死亡者も出ている。安心して通園するには信号機の設置が必須なのだが、道路の改良、お地蔵さんの移設など課題がある。今の阿波市の考えのままだと、こども園に行く道の交通量が増えて、事故が起こりかねない。十分に住民の意見も聞いて(交通の危険さは住民が一番よく知っている)、子どもたちが安全に通園できるようにしてもらいたい。

 今日は朝から国都神社の社日であった。風が強く昨日とは10度以上も違うので神社の敷地での祭事はつらかった。終わった後、皆で手分けして各家庭にお餅を配りに行った。

 私は、中国語を2カ所で学んでいる。水曜日は台湾生まれの先生の日であったが、体調が悪いということで中止になった。「台湾新文学と魯迅」(東方書店 1997年9月)を読んだ。私の印象としては、台湾では魯迅はあまり読まれていないのではという認識だった。ところがこの先生、魯迅が好きなようであった。私が子ども向けの魯迅の伝記を書いた本を持っていると言うと、是非子どもに読ませてあげたいというので貸してあげた。

 台湾は日清戦争後「下関条約」によって日本に割譲され、1895年(明治28年)に日本の植民地になった。これは1945年(昭和20年)の日本の敗戦まで続く。台湾では日本語の使用が強制され、日本語が公用語となり学校でも使わされた。だから当時は日本語で文章を書くことになり、中国語ができない人も相当いたようだ。

 魯迅中華民国成立当時は台湾でも受け入れられていた。しかし日本占領時と、国共内戦で国民党政府が破れて国民党が台湾を占拠してからは、魯迅を含む中国の進歩的な文人の書籍は制限された。その後も、台湾の国民党政府は戒厳令を敷き(1945年~1987年)中国からの文物の移入を阻止してきた。とはいっても、何らかの形で魯迅は読み継がれてきたことが「台湾新文学と魯迅」で理解された。今では、台湾でも魯迅は幅広く読まれていることを先生のおかげで知ることができた。

 

f:id:tetuo0208:20190321114442j:plain

f:id:tetuo0208:20190321145515j:plain

●仙台北陵クリニックえん罪事件の守大助さんをご支援ください!

B型肝炎訴訟は全国B型肝炎訴訟弁護団にご相談を!

良寛詩集(東洋文庫556 平凡社

104 いかなれば同じ一つに咲く花の濃くも薄くも色を分くらむ

105 この里の桃のさかりに来て見れば流れに映る花のくれなゐ

106 松之尾の葉広の〇つき椿見にいつか行かなむその椿見に

107 あしひきの片山かげの夕月夜ほのかに見ゆる山梨の花

108 春雨のわけてそれとは降らねどもうくる草木のおのがまにまに