「抗命」高木俊朗

 「抗命 インパール作戦 烈師団長発狂す」(高木俊朗 1966年12月 文芸春秋社)を読んだ。20年前に古書店で500円で買った。長い積読であった。この本が出版された時期は、日中戦争・太平洋戦争にかかわり多くの本が出版された。戦後20年あまりして先の大戦を検証してみようという気持ちが、戦争に参加した(させられた)人たちに書かせたのであろうか。著者の高木は従軍記者としてインパール作戦に参加した。

 文春文庫の紹介には『「インパール」第2弾。師団長は、軍司令官の無謀な命令を拒否した。――さもないと、将兵をむだに全滅させることになる。昭和19年牟田口廉也中将が主導したインパール作戦において、烈31師団長佐藤幸徳中将は、将兵の生命こそ至上であるとして、補給なき最前線、コヒマから独断で撤退し、師団長を解任される。戦後著された2人の回顧録と、豪雨と飢餓の悲惨な情況に陥った将兵たちの証言を通し、軍上層部の迷走と無責任を厳しく追及した、執念の戦記文学。現場を知らぬ上層部の無謀な命令が悲惨な結果を生む。令和のいまにも深い教訓に満ちた一冊。』と記されている。
  出征してインパール作戦に参加した兵士の手記を丹念に調査し、戦争の実態も明らかにしている。
 「戦いの跡」の項で、「インパール作戦の3個師団のうち、烈師団の損害は、参加人員23,139名に対して、戦死、死没者11,500名を数えた。弓第33師団は参加人員22,376名に対し、戦死、死没者は約12,500名、祭第15師団は参加人員20,548名に対し、戦死、死没者は約12,300名であった。」と記している。参加人員66,063人に対し、戦死、死没者は36,300人で死亡率は55%にも上る。もちろん生きていたものでも負傷・飢えで、生き延びていくのも大変だった。大日本帝国天皇のため、指導者の利己・栄誉のためにこういう悲惨な結果になった。ロシアのウクライナ侵略は、国際法に反するものであるが、侵略から半年も経過したが、終息には程遠い。
 孫たちの夏休みがもうすぐ終わる(8月24日まで)。ようやく少しは休息できるだろう。
 茨城県県議会議員選挙は12月に行われる。加那の事務所開きが21日に行われたようだが、3期目を目指して皆さんの協力を得るように努力してほしい。
●ロシアのウクライナ侵略は、国際法に反するもので、ロシア軍が直ちに撤退することを要求する!
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「埋み火」富士茂子(編者:柏原千恵子 1984.4.17)
〇夫逝きて四年はたちぬ藍のややあせし九谷に熱き茶をつぐ
〇つぐないの終わりて明日はかえりゆく友よ再び獄に逢うまじ
〇智き瞳もちたる少女がその母を批判せりブランコをゆるくゆりつつ
〇美味そうにリンゴかじりている友の若さともしも飴の紙はぐ
〇山見ても川見ていてもふるさとのあの日の頃にいつかふれゆく
よもぎ摘みてこの紀の川に立つ吾を誰が予期していしや囚として
〇土くれは意外に重く二の足の立てずモッコをもてばよろめく
〇汗ばみし胴衣にしみる風すでに春と思いぬモッコ担げば
〇指先に強くのこりし紀の川よもぎの匂いいとおしむ夜