健康班会「健康食品」、きのこハウス理事会、中国語

  19日(火)の夜は、健康班会があったので連れ合いと参加した。この日のテーマは「健康食品について」。講師は管理栄養士で、資料として厚労省の「健康食品の正しい利用法」を使った。参加者の中には数種類の健康食品を利用している人もおり、関心が高い。
 テレビでは毎日、健康食品のCMが洪水のように流されている。ついつい買ってしまいたくなるような、上手(?)な宣伝である。資料の「はじめに」には、「①『天然・自然』が安全の理由にはなりません。②その体験談は『ホント』かな?③『成分の情報』と『製品の情報』は全く別のものです。④病気の人が健康食品を利用するにはリスクがあります。⑤専門家『ひとりだけ』の情報はあてになりません。⑥動物実験の結果を単純にヒトに当てはめることはできません。」と書かれていた。
 そして、この6点について講師から詳しく説明された。ごく普通に食事を取り、運動をし、睡眠を取れば、私は健康について問題がないと考えるのだが、CMの力は恐ろしいと思った。

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  20日(水)は3時からきのこハウスの理事会があ...り参加した。経営状態は厳しいが、しいたけの収穫が予算を大幅に上回っているのが心強い。新年度の体制などについても話し合った。
 中国語は20日(水)午前中、21日(木)は陽光学院であった。陽光学院ではオー・ヘンリーの「最後の一枚の葉」の要約を学んだ。中国語でCDから話された内容を聞いて、そのとおりに文字に写すのだが、なかなか難しい。
 昨晩遅く、東京に行っていた連れ合いが戻ってきた。息子からの誕生日プレゼントとひな祭りの手ぬぐいがお土産だった。

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良寛歌集(東洋文庫556 平凡社
59 鶯にたのみ早く移してきみ園さびしく荒れし時より
60 鶯の声を聞きつるあしたより春の心になりにけるかも
61 たきぎこりこの山かげに斧とりていく度かきくうぐひすの声
62 うちなびき春は来にけむわが園の梅の林に鶯ぞ鳴く
63 うぐひすのたえてこの世になかりせば春の心はいかにあらまし

 

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あわ9条、守大助の会、「旧聞日本橋」(長谷川時雨 岩波文庫)、魯迅

 17日(日)は朝9時からスーパーマルナカ柿原店前で毎月恒例のあわ9条の会による、宣伝行動があった。先週日曜日が予定日だったが、雨のために中止になっていた。この日の参加者は8名。多くの車から手を振って、私達の行動に賛意を示してくれた。

 1時からは守大助のの役員会と宣伝行動があった。徳島まで役員のw石さんが車に乗せてくれた。相変わらず近頃の徳島駅前は人出が少ない。40分ほど守大助くんの無罪を訴えた。役員会では9日の総会のまとめをした。マスコミも含めていろんな要請行動をしたので、参加者は例年より多かった。記念講演の講師:青木惠子さん(東住吉冤罪事件)の話も好評だった。東住吉冤罪事件の署名も276筆渡すことができた。

 現在、会員は535名、最高裁宛の再審開始を求める署名は1,073筆であった。今配布しているチラシも変更することになった。事件の学習も行った。薬剤師の役員が仙台市立病院の症例報告などをもとに、ミトコンドリア病について解説してくれた。A子さんについては池田正行先生(元長崎大学医学部教授)がミトコンドリア病メラスだと診断して、守さんの無罪を立証しているが裁判所はその診断を採用していない。

 次回役員会は3月16日。

 「旧聞日本橋」(長谷川時雨 1879~1941 岩波文庫)を読んだ。著者は長谷川渓石(1842~1918 2/7のFacebookで「江戸東京実見画録 岩波文庫)の娘。日本橋・浅草の情緒がわかる描写ではあるが、明治時代の文章なのでわからない言葉ばかりである。夏目漱石(1867~1916)も同時代の人。今読んでいる魯迅(1881~1936)は1902年22歳の時に日本に留学して1909年9月まで学んでいる。同じ空気のもとで生活していた。1908年4月に漱石の旧居(本郷西片町10-ロ-7 現在、東京都文京区西片1-14-8)に弟の週作人らと住んでいた。

 

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魯迅

魯迅全集第9巻(675p 集外集、集外集拾遺)を読んでいる。ようやく60ページまで進んだ。読んでいて我が家にある魯迅関係の本を引っ張り出してきた。高田淳「魯迅詩集」(中公新書 1971年)は第9巻には詩が多く収録されているから。  
 2014年に北京に行った時に書店で購入した「南中国郷土玩具集」「北中国郷土玩具集」(北京魯迅博物館 2012年)は魯迅が所蔵していた本の復刻版である。魯迅は生前、若者の版画制作援助に力を入れていた。内山嘉吉(1900~1984 美術教師で後年東京の内山書店の店主だった。上海の内山書店・内山完造の弟)を招いて、版画の指導を行わせた。もう1冊は「魯迅と日本友人」(上海魯迅紀念館編 2013年)これは2017年2月に上海に短期語学留学に行った時に入手した。入手の経緯は、2017年3月の私のブログに書いた。以下の通りである。
 魯迅紀念館を見学(2017年2月19日)、前に見た内山書店のコーナーはなくなっていた。その後、上海の魯迅故居に行った。ここもパスポートで70歳以上であることを示すと免費であった。時間を決めて中を...案内するようになっているので、待合室にあった「魯迅與日本友人」という本を見た。値段が48元なので買うことにして館員にお金を差し出すと、この本は売っていないという。ここで見ろというのであった。暫く見ていると、お前中国語が読めるのかと聞いてきた。見栄を張って読めると答えると、無料でくれるというではないか。ありがたい。
 そして館長らしき人が出てきて、日本語で「あなたは周海嬰魯迅の一人息子)を知っているか」と聞いてきた。知っていると答えた。
 8年ほど前に周海嬰岡山県井原市に来て講演をした話をした。なぜ周海嬰が遠い片田舎の井原市に来たかというと、内山完造没後50周年記念事業のイベントとして「わが父魯迅と内山完造」と題して話をしたのであった。私も連れ合いとこの集会に参加して、周海嬰の話を聞いた。魯迅と内山完造との関係などを詳しく話をしてくれた。集会には多くの中国人留学生もボランティアで参加していた。彼は、その時に通訳として来ていたと言った。なるほど!!!うれしい話であった。」
 「魯迅と日本友人」にはこの時に版画講習を受講した李樺が彫った「魯迅夏期木彫講習会にて」という1枚があった。また、「南中国郷土玩具集」にも李樺の3枚があった。「南中国郷土玩具集」の解説には、魯迅が2,000枚ほどの版画を所蔵しており、版画関係の本も300冊ほどあったとも紹介されている。第9巻の解説には、魯迅が果たした美術・版画についての大きな功績が評価されている。

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良寛歌集(東洋文庫556 平凡社
55 今よりは野にも山にもまじりなむ老のあゆみの行くにまかせて
56 鳥はなく木木の梢に花は咲くわれもうき世にいざ交じりなむ
57 鶯のこの春ばかり来ぬことはこぞのさわぎにみまかりぬらし
58 世の中を憂しと思ひて鶯はとこ世の国につれて去(いぬらむ
58 鶯にたのみは早く移してきみ園さびしく荒れし時より

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孺子の牛(じゅしのうし)2

 

 永らく孺子の牛(じゅしのうし)が更新できなかった。ようやく新規登録できた。

 昨日は、久しぶりに連れ合いと歩いてきた。御所の郷から四国8番札所熊谷寺まで、往復1時間ほどかかった。

 昨日、Facebookを更新したので、その記事をコピーして掲載する。

 魯迅全集第8巻(且介亭雑文・且介亭雑文二集・且介亭雑文末編)をようやく読み終えた。
 この巻で一番印象に残るのは、「深夜に記す」(且介亭雑文末編)である。もう、50年ほど前に岩波書店魯迅選集を読んだのだが、「深夜に記す」には、ドイツの女性版画家ケーテ・コルヴィッツ(1867~1945)について書かれていた。「1931年(中略)雑誌、『北斗』第一期に一枚の木版画があった。一人の母親が、悲しく眼を閉じてその子供をさし出している絵である。それはケーテ・コルヴィッツ教授の連作木版画『戦争』の第一図であり、題は『犠牲』という。中国に最初に紹介された彼女の版画であった。」
 この一文に惹かれて、彼女の岩崎美術社発行の「版画集・愛と怒り」を購入した。我が家の書棚を探し回り、ようやく見つけた。本に納品書が入っていた。1971年7月7日に購入している。980円であった。魯迅がなぜこの一文を書いたのか。是非、読んでほしい。また、全集の月報(1984年11月)が付録としてあるが、第8巻には、映画監督の山田洋次が「阿Qとチャップリンとそして車寅次郎」という一文を寄せている。「大学一年の時、先輩に借りて読んだ”阿Q正伝”の印象の鮮やかさは、例えばチャップリンンの”街の灯”を観たあとの、口も聞けないような感動と共通している。」と書いている。