「何が私をこうさせたか」(金子文子 岩波文庫)、あわ9条の会、「踏み来し路の一つひとつを」追加

 15日(水)の夜は、我家であわ9条の会の事務局会議を行った。12日の行動の反応やこれからの取り組みなどを話し合った。従軍慰安婦問題がテーマになっている映画「主戦場」についても、観た人から感想が出された。

 先日書いた「踏み来し路の一つひとつを」について、書き忘れたエピソードがあるので追加する。それは、1976年に自民党赤城宗徳衆議院選挙(茨城県)で闘ったときのことである。立ち会い演説会で赤城と同席になり、奈良が彼に聞いた。

奈良:60年安保の時、過激派の学生が国会に乱入するなど混乱したことがありましたね。あの時、防衛庁長官でいらした赤城さんに自衛隊の出動要請はなかったんですか。

赤城:そりゃあったさ、だけど君、自衛隊だよ。警官とは違う。銃を国民に向けることになる。そんな要請は受け入れられないに決まってるじゃないか。

 今の自衛隊、安倍政権によって国民に銃を向けることさえできることになってしまった。海外で軍事行動を取ることが、安倍政権では当然のことと認識されている。アメリカ軍の指揮の下、自衛隊員が人殺しをすることを強制されるようになった。

 「何が私をこうさせたか」(金子文子 岩波文庫)を読んだ。

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 昨年は、金子文子と夫の朴列が映画になって紹介された。本書は、獄中で金子が書いた自伝である。解説の山田昭次はこう書いている。

 「関東大震災後、朝鮮人の恋人朴列と共に検束、大逆罪で死刑宣告された金子文子(1903~26)。無籍者として育ち、周囲の大人に虐げられながらも、どん底の体験から社会を捉え、『私自身』を生き続けた迫力の自伝を残す。天皇の名による恩赦を受けず、獄中で縊死。」

 読んでみると、壮絶な23歳までの人生であった。韓国に今、彼女の墓はある。小作人の子として生まれながらも、学ぶことが好きで、ひたすら自分を見つけようとして生きてきた。身内の中で生活しても女中扱いされたり、食事さえ何日もろくにとれない生活の中での23年間。当時、彼女のような生活を強いられた若者は大変多くあっただろうが、少しでも自分を向上させようともがき苦しみ続けた人は、少ない。

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良寬歌集(平凡社東洋文庫556)

446 あはれさはいつはあれども秋の夜の虫の鳴く音に八千草の花

447 いつはとは時はあれども淋しさは虫の鳴く音に野べの草花

448 あまづたふ日は夕べなり虫は鳴くいざ宿借らむ君がいほりに

449 夕されば虫の音ききに来ませ君秋野の野らと名のるわが宿

450 心あらば虫の音聞きに来ませ君秋野のかどを名のるわが宿