尹东柱の詩集と墓

 連れ合いが3月23日のブログに、市民劇場で観た尹東柱の劇「​星をかすめる風​」を紹介していた。実は、尹東柱については、2016年7月16日から19日まで、中国の朝鮮族自治州に旅行しておりその際尹東柱の生家と墓を訪問していた。この旅行は延吉の大学で日本語教師をしている友人の招待であった。連れ合いはその時のことを忘れているようだ。私はブログに、2回にわたり尹東柱について書いた。以下はその拙文である。

  • 2016年9月15日のブログ

尹東柱(1917〜1945)の「空と風と星と詩」を読んだ。清冽な詩であるとおもった。中国・延辺に行った時、ハングルと中国語で書かれた尹東柱の詩集「仰望天空 毫无愧恨」を買ったのだが、ハングルは読めないし、中国語の力もあまりないので、岩波文庫を購入した。岩波文庫もハングルと日本語訳が併記されている。両書とも、尹東柱の人となり詩について詳しく解説されている。岩波文庫金時鐘の編訳である。今、永田浩三の「ヒロシマを伝える 詩画人・四國五郎と原爆の表現者たち」(WAVE出版)を読んでいるのだが、この中に詩人・金時鐘の名前が出てくる。同一人物なのだろう。
 中国で出版された「仰望天空 毫无愧恨」というタイトルは、最初に掲載されている詩「序詩」(1942.10.20作)の冒頭の一節から来ている。中国・韓国では大変有名な詩のようであるので紹介する。

  死ぬ日まで天を仰ぎ
  一点の恥じ入ることもないことを、
  葉あいにおきる風にさえ
  私は思い煩った。
  星を歌う心で
  すべての絶え入るものをいとおしまねば
  そして私に与えられた道を
  歩いていかねば。

  今夜も星が 風にかすれて泣いている。

 彼が生きていた中国東北部(当時は満州国)であったが、ハングルの使用は禁じられていた。それでもハングルで詩を書いた。日本に留学していた彼は、27歳の時治安維持法違反で罪に問われ、九州の刑務所で獄死した。

中国・延吉旅行 2016年7月16日から昨日(19日)まで、中国吉林省の延吉市に行ってきた。友人が4月から延辺大学日本語教師をしているため、遊びにこないかとの招待を受けたのであった。メンバーはS女史(彼女の連れ合いが日本語教師)とT女史と私たち夫婦であった。いずれも昔からの知り合いなので、気楽に楽しくいけると思った。全くその通りの珍道中であった。
 延吉市は吉林省延辺朝鮮族自治州にある。延吉市が州都になる。人口は48万人ほどで朝鮮族が58%を占めている。関西空港と延吉朝陽川空港を結ぶ便は週2便しかない。 
 中国の大学は現在夏休み。従って、S氏が全行程を付き合ってくれた。18日は長白山へ行ってきた。S氏の同僚も一緒であった。朝鮮では白頭山と呼ばれている。19日は延吉市の隣にある図們市と龍井市に行った。図們は北朝鮮とつなぐ図們大橋があって、観光客が大変多い。龍井市では反日解放運動の幾つかの跡地を訪問した。延辺大学の日本語学科の学生2人が同行した。日本語の勉強になっただろうか。こちらは中国語の勉強になった。
 ブログを書く参考の延辺のガイドブック(中国発行)が見当たらない。連れ合いに聞くと持ってでかけたという。没法子!

生家








 

木蓮、自治会総会

 20日(水)は春分の日でお休み。例年、春・秋のお彼岸には家族そろって、義父母の墓参りをしている。この日も、近くにある墓に行って、また義弟の家に立ち寄り仏壇にお線香をあげた。その後毎年、8番札所切幡寺に行っているのだが、私は体調があまり良くないのでパスした。連れ合いは娘・孫たちと出かけて行った。孫たちが屋台から持ち帰ったのは金魚であった。一昨年の金魚もいるのだが、仕方がないので別の入れ物を用意した。夜は、所属する自治会の総会があり参加した。1年のまとめ、自治会の課題の論議、会計報告、次期役員の選出があった。義弟が来年度の自治会会長に選出された。私も3度経験したが、仕事が現役の時は日程のやりくりで仕事も休まなければならないので大変だった。自治会離れが進む中で、会員の交流を深め安全確保のためにも、自治会は必要と私は考えている。

 正月、今年の一日の歩数目標を1日平均1万歩に決めたのだが、これが大変だ。体力も考慮して、3月から1日8,000歩に改めた。昨日迄の平均は9,757歩になっている。

 18日(月)に耳鼻咽喉科を受診したことは書いたが、その時駐車場に車を止める際、縁石に乗り上げて後輪左のタイヤをパンクさせてしまった。取り替えなければならない。高齢による判断ミスとしか言いようがない。娘がネットで交換タイヤを注文してくれたので、少しは安く手に入れることができた。

 我が家の木蓮を紹介する予定でいたが、忘れてしまっていた。もうだいぶ散ってきたが、先に撮影したものを掲載する。

富士正晴集(影書房)

 13日(水)の午前中は文学書道館で日中友好協会の中国語を受講した。今回で楊先生はおしまいで、プレゼントを渡し記念写真を撮った。次回からは王先生になるが、どのような内容になるか楽しみである。午後からは健康班会「認知症」ががあったのだが、体のだるさもあり欠席した。
 14日は先週土曜日の守大助役員会の報告も兼ねて、守さんにはがきを書いた。
 昨日(18日)は花粉症がきつくなったので耳鼻咽喉科を受診した。去年も同じ時期に受診している。行動が制限されて、気持ちよいものでない。 
 最近は音楽CDを聴きながら、本を読んだり中国語の勉強をしたりしている。そこで、12畳においてあるCDを私の部屋に移動した。棚も作った。古い時代のCDばかりで、沖縄・奄美諸島のが80枚ほどある。順繰りに聞いているとのんびりできる。

 「富士正晴集」(影書房 2006年)を読んだ。これは文学書道館で扱っていた本である。文学書道館では、瀬戸内寂聴をはじめ、徳島生まれの作家や香川豊彦など徳島ゆかりの作家の本を扱っているし出版もしている。富士は徳島生まれで(1913年~1987年)、関西に居住した。彼の作品で一番有名なのは「帝国軍隊に於ける学習・序」であろう。これは未来社から1964年に出版されている。私が購入したのは1969年だから、古書店だったのだろう。高度成長時代であったが、それほど恩恵にあずかった記憶がない。大学卒業の時期であった。富士正晴集を購入した動機は、本をパラパラめくっていると「魯迅と私」という一文が目に入ったためである。本書の中に「栞」と題した小冊子が挟まれており。そこで影書房の代表の松本昌次が一文を寄せて、富士正晴について書いていた。それによると松本は以前未来社で編集に携わっており、「帝国軍隊に於ける学習・序」は彼が編集したという。私にとっては奇遇であった。富士が1955年から1984年にかけて書いた随筆が収録されている。ゆったりとしたテンポの文章で、じっくりと彼の心情を味わうことができた。武田泰淳と同じく富士も一兵卒として中国戦線に加わらさせられた。そこでの体験が彼の作家生活の背骨をなしている。

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連れ合いの体調不良、人民教育出版社の「標準日本語 初級 上」

6日(水)は文学書同館で日中友好協会の中国語講座があり参加した。今の楊先生の授業は来週までとなった。彼女はこの後日本各地を友人と旅行して、帰国するらしい。とにかく教えるにあたり予習をしてきている。
 7日(木)は私のおんぼろ軽の車検であった。6万円近くかかった。
 9日(土)は守大助の会の徳島駅前宣伝・署名行動と役員会があり、参加した。チラシの受け取りは、いつもより多かった。この日の夕方5時半、連れ合いが突然体調不良を訴え、吉野川医療センターに行った。血圧が212ほどになり左顔のしびれと左足の痙攣があったようだ。私が付き添って行ったが、検査の結果特に悪いところは見当たらないようで、1時間ほどして少し体調も収まり、薬を処方されることもなく帰宅した。日頃、元気が取りえであちこち歩きまわっているので、本人も私もびっくりした。それでも今週はおとなしくしているに越したことはない。
  10日(日)は午後から林公民館で、外国人への日本語教育があり参加した。私の今日の担当は前回と同じく、中年女性3名へ教えること。皆さん私の下手な解説を、熱心に聞いてくれた。テキストは人民教育出版社の「標準日本語 初級 上」で、9課「四川料理は 辛いです」を学習した。予習が大変だった。

 11日(月)は健生歯科と健生病院の眼科を受診した。この頃、車の運転が危なっかしい。調べてみると少し右目の視野が狭くなっているようだったので、新しい薬を処方された。
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宮内フサさんの張り子面

おはようございます。白川よう子さんがひな人形を見た感想を書いていて、そこで宮内フサさんの「奉公さん」を紹介していた。いつ見ても奉公さんは柔和な顔をしているので、心が和む。そこで、我が家にある宮内フサさんのの張り子面を紹介しよう。高松平和病院の近くにある工房に行って、仕事ぶりを見させてもらったこともありました。
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nagi君、囲碁大会で優勝

 20日(火)は林小学校で日本語教育の補助があり参加した。
 21日(水)午前中は、文学書道館で日中友好協会の中国語があり参加した。今の先生は3月までで終わりとなるが、新しく教えてくれる人を連れてきた。徳大の大学院生である。テキストは引き続き同じものを使う。午後からは健康班会があり連れ合いと参加した。今回のテーマは「100歳体操」であった。大変工夫された体操で、いろいろなバージョンがある。真面目にやると体力をたいそう使う。班会の前に、先日亡くなったⅯさんへの弔意を示し黙とうした。
 22日(木)は林小学校で日本語教育の補助に参加した。5年生の彼、大変上達しているように思えた。あとは応用力の養成である。中国語の勉強では「多読、多聞、多写」が言われるが、日本語でも同様である。この日は寒かった。
 翌日(23日)、朝起きると西にある高越山(別称:阿波富士)に雪が積もっていた。
  25日(日)は林公民館で日本語学習があり参加した。中国人、インドネシア人(すべて男性)が来ていた。私は前回に引き続き、中国人女性4人を担当した。怪しげな中国語を時折入れて解説するのだが、少しは理解してくれただろうか。この日、孫たちは香川で開かれた「ボンド杯 全日本こども囲碁大会 四国地区大会」に参加した。nagi君はB級で参加して優勝した。兄のkaede君の特訓の成果である。私は、全く教えることはなかったので、それがkaede君の敗戦につながったのだろう。

 昨日(26日)はきのこハウスの理事会があり参加した。来年度の予算について説明があった。報酬改定があり今年より少しは良くなるようだ。しかし、施設形態によっては大幅減収になるとkろもある。私は、今年度で12年間お世話になった理事を下りることになった。障碍者運動については全く無知であったが、横田理事長のおかげで少しは理解を深めることができた。徳島の「きょうされん」をはじめ、四国・全国の集会に参加させてもらったおかげである。
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守大助の会役員会、葬式参加

 12日(月)は10日の守大助総会の報告をするため、千葉刑務所の守大助さんに手紙を書いた。また、先日亡くなったⅯさんの葬式に連れ合いと参加した。ところがである、Ⅿさんと同じ病名で近所の人が入院した。寒い時期、脳梗塞は怖い病気だ。

13日(火)は林小学校で、1年生の子に日本語指導の手伝いをした。

 14日(水)は、文学書道館で日中友好協会の中国語に参加した。この日は、皆が書いた中国語作文の添削がされた。自分がかかわった仕事を主題にした作文で、皆さん熱心書いているようだった。特にCさんの長文には感心した。

 15日(木)はこれまた林小学校で5年生に教える補助をした。日本語を読めても、その意味が理解できていない場面に出会う。言葉の意味を早く覚えてほしいとは思うが、本人にとっては大変なことだろう。

 17日(土)は守大助の会の役員会があり参加した。総会の総括を行った。総会では

川上事務局長の不参加というハプニングはあったが、何とか成功させることができた。総会で出された貴重な提案についても論議し、今後の運営に役立てることにした。

 今日(19日)は徳大の中国語教室があったのだが、一番下の孫が発熱したため、私がおもりをすることになって不参加にした。孫は自分の部屋でテレビを見ている。